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【「前線基地」の苦悩8】続く爆発 高まる緊張 屋内外の線量 急上昇

オフサイトセンター内に残っているホワイトボードのメモ。1号機から4号機のプラントの状況などが記されている=2日

 震災発生から一夜明けた昨年3月12日朝、大熊町のオフサイトセンター内で、政府や県、東京電力などの関係者は緊迫した雰囲気の中で対応に追われた。原子炉は停止したが、燃料は熱を放ち続けている。炉心溶融などの最悪の事態を招かないためには、冷却用の注水が急務だった。
 発電所内に用意された淡水の量には限界がある。自衛隊に給水車の出動を依頼したが、もともとが飲料水などの生活用水を供給する車両だった。原子炉に必要な量には、はるかに及ばない。発電所は海水注入の準備に取り掛かった。

■揺れる画像
 12日未明、電源が復旧したオフサイトセンターに東電のテレビ会議システムが接続された。センターと東京の東電本店、福島第一原発の各対策本部がつながった。互いに情報を交換できるようになり、発電所のさまざまなデータ、保安検査官やプラント班の情報を擦り合わせた。
 テレビ会議システムはオフサイトセンター2階南側の「事業者ブース」に設けられた。主に東電関係者らが詰める場所だ。40インチほどの画面に、発電所などの様子が分割して映し出されていた。
 午後3時36分、画面を見ていた東電社員が「あっ」と驚きの声を発した。福島第一原発の免震重要棟の画像だけが、ガクンと揺れた。余震でないことは明らかだった。「一体、何があったんだ」
 「みんな言葉も少なく、どちらかというと沈黙していた」。東電社員は当時の様子をこう表現した。
 オフサイトセンター内にいた政府現地対策本部長の経済産業副大臣、池田元久は、自衛隊から「福島第一原発で大きな音がした」と報告を受けた。間もなく、センター内の大型スクリーンに民放テレビのニュースが映し出され、1号機の爆発の様子が分かった。池田はすぐに、センターにいた東電副社長の武藤栄から説明を受けた。武藤は「核燃料を覆っているジルコニウム合金が水蒸気と反応して水素が発生した」と図を描きながら淡々と説明したが、その表情には元気がなかった。

■行方確認できず
 爆発は1号機だけで済まなかった。池田がさらに緊張したのは、14日午前11時1分に発生した3号機の爆発だ。約3時間前の8時すぎ、福島第二原発で活動中の自衛隊員や消防署員らを給水のため福島第一原発に向かわせたばかりだった。緊急性を優先した指示で、東京の対策本部へは事後報告だった。爆発によって全員の行方が一時、確認できない状況になった。
 「大変なことになった」。池田が固唾(かたず)をのんでテレビ会議システムの画面を見守っていると、東電社員が「1人見つかったぞ、良かった」と声を上げた。「思わず、そこだけ見つかればいいのか、とつぶやいた。部下に出動を命令した戦場の司令官の思いと責任感が理解できた」。東電社員と自衛隊員ら11人がけがをしたと分かったのは、しばらくたってからだった。
 3号機の爆発後、オフサイトセンター屋外の空間放射線量は毎時800マイクロシーベルトに達した。屋内でも最大100マイクロシーベルトに上昇した。センター内には放射線量を示す表示板があり、その数字が一気に大きくなった。
 原子力災害対策の前線基地でありながら、外部からの放射能の影響を遮断するという発想がすっぽりと抜け落ちていた。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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