東日本大震災アーカイブ

【ヨウ素剤配布】備蓄生かされず 情報伝達が不十分 市町村は対応に混乱

 東京電力福島第一原発事故で、県が原発から10キロ圏の6町などに備蓄していた安定ヨウ素剤は、富岡町など一部の自治体を除き、ほとんど配布されなかった。マニュアルでは政府の服用指示を受けて配ることになっていたが、国からの指示は事故発生から5日後の昨年3月16日。政府と県の情報伝達が極めて不十分で、市町村の対応に混乱を招いた。服用指示はどのように出されたのか、今回の教訓を今後の防災対策にどう生かすのか。当時の証言などを基に検証する。

■決断
 「ヨウ素剤を早く配ってほしい」。富岡町は昨年3月12日午後、避難していた川内村などで40歳未満の希望者に安定ヨウ素剤を配った。原発や原発関連企業で働く町民が多く、ヨウ素剤の備蓄や効果に関する知識を持っていた。住民の強い要望に押し切られる形での決断だった。
 「1万錠以上はあったか...」。職員の1人は大混乱の中での配布を振り返る。町は同日午前、川内村に避難する際、万一に備えて町役場の倉庫に備蓄していたヨウ素剤(1箱1000錠入り)を持ち出していた。
 東京電力福島第一原発1号機が水素爆発したのは同日午後3時36分。外部との連絡もままならず、住民も職員もテレビ、ラジオから得られる情報が全てだった。ヨウ素剤は原子力災害対策特別措置法に基づく国の服用指示がないと配布できない。指示は出ていなかった。職員は「指示を仰ぐにも連絡がつかない。線量も分からない。住民の不安を取り除くことが先だった。法に従っている時間はなかった」と証言する。
 双葉、楢葉両町も住民に配布したが、配布数量や服用したかは不明だ。

■指示待ち
 「いつ、服用指示が出るんだ」。同じころ、県災害対策本部はいら立っていた。国の服用指示が一向に出ないからだ。3月12日夜から何度も経済産業省原子力安全・保安院に掛け合った。
 だが、保安院の担当者からは「県の放射線量に関するデータが欲しい」と言われるだけだった。服用の判断基準は「予測される甲状腺被ばく線量が100ミリシーベルト」とされていた。「正確な線量の情報が政府内で伝わっていない雰囲気が感じ取れた」。県の担当職員は鮮明に覚えている。
 県は原発から10キロ程度の範囲に位置する広野、楢葉、富岡、大熊、双葉、浪江の6町にヨウ素剤を配備していた。備蓄量は国の防災指針と県緊急被ばく医療活動マニュアルで定めた「40歳未満」の人口の3回分に当たる計13万6000錠。さらに、県の備蓄分として大熊町内のオフサイトセンターに隣接する県環境医学研究所の施設に6万8000錠を保管していた。
 県は避難指示の拡大に伴い、県環境医学研究所から約3万錠を県相双保健福祉事務所に移したが、使われることはなかった。

■真相は闇に
 政府の原子力災害現地対策本部には、ヨウ素剤の服用指示は3月16日午前10時35分、県と双葉郡8町村、いわき、田村、南相馬、飯舘の計12市町村宛てに出したとの記録が残る。福島第一原発から半径20キロ圏内から避難する住民の服用を前提としていた。
 だが、県や市町村からは「16日に指示は受けてない」との声が上がる。現地対策本部も「当時は極めて混乱していた。自治体にどう伝えたか分からない」としている。
 服用指示は政府から県を通じ、市町村に出すことになっていた。ところが、指示の文書を確認すると、県と12市町村に対し、一斉に出されていた。しかも県災害対策本部の担当者が文書を確認したのは18日。当時、県は国や市町村と膨大な文書を交わしていた。他の案内文書などに紛れ込んでいた可能性もある。結果的に、県から市町村に指示は伝達されなかった。
 政府の国際原子力機関(IAEA)に対する報告書には、こう記されている。「服用するよう指示が出された時点では、既に避難が完了していたため、指示に基づいて安定ヨウ素剤を服用した住民はいなかった」

カテゴリー:3.11大震災・検証