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【覆された備え2】廃液漏れ通報遅れる 「蚊帳の外」大熊町怒り

昭和48年、放射性廃液漏れ事故が起きた建屋=県原子力安全行政10周年記念誌より

 「炉心には放射能と言う怪物が充満しておる事実は覆い隠す術はない」
 昭和57年、大熊町長の遠藤正は、原子力発電所が抱える危うさを、人間にとってうかがい知れない怪物のような存在に例えた。「県原子力安全行政10周年記念誌」に掲載されたあいさつ文の一節だ。その不安は寄稿に盛り込んだ住民避難の「シェルター建設構想」に結び付く。
 町内に立地した東京電力福島第一原発が運転を開始してから11年余りが過ぎていた。遠藤は「たびたび故障を繰り返し、その稼働率は他の炉に比較し相当の見劣りがある」と厳しく指摘した。
 遠藤の心には町の助役を務めていた時期の苦い思いがあった。「一生の痛恨事としていまだ脳裏に深く刻み込まれている」。当時としてはわが国の原子力発電の歴史の中で、かつてない事故だった。

■約束違反
 昭和48年6月25日午後4時半ごろ、福島第一原発1号機の放射性廃棄物処理建屋から放射性物質を含む廃液が外部に漏れ出した。原因は、バルブの締め方が不十分という初歩的なミスだった。
 建屋の外に流れ出た量はドラム缶1本分程度の約200リットル。広さ約28平方メートル、深さ5センチの土壌に染み込んだ。東電は廃液が染み込んだ土壌を除去し、ドラム缶に入れて隔離した。
 発電所の敷地外にある土地や建物、住民の健康などに影響はなかった。だが、東電から地元への通報連絡が遅れた。町に情報が入ったのは発生翌日の26日午後2時10分ごろ。発生から丸1日近くが経過した。
 東電は、県に対しては発生から約4時間後の当日午後8時半に、県が町内に設けた原子力対策駐在員事務所には午後11時すぎに報告していた。
 原発に最も近い地元の町が蚊帳の外に置かれた。東電は原発立地に当たって「連絡を密にしていく」と前々から約束してきた。
 事故の中身もさることながら、通報連絡の遅れという東電の「約束違反」は、遠藤をはじめとする町の担当者や住民の不信を増幅させた。

■「町史」の戒め
 事故当時、町長を務めていた志賀秀正は病気で入院中だった。後にまとめられた「大熊町史」には、助役の遠藤が東電などへの抗議を志賀に促した様子が記録されている。
 遠藤は報道機関から取材を受けた。当時の福島民報の紙面には「誘致した町当局に知らされないのでは、重大事の際の対策を立てられない」とのコメントが掲載されている。
 町史の発刊は、遠藤の町長在任中の昭和60年だった。事故のいきさつにとどまらず、原子力に向き合う人々への戒めにまで言及した。「原子力発電所は巨大なエネルギーを生み出す。しかし、原子力の制御は難しい。原発は絶対安全と考えているとしたら、それはその人間のおごりにすぎない。いつ人間の手綱を離れて飛び出すか予測がつかない状態にある...」。
 今となってみれば、26年後に起きる福島第一原発の過酷事故を暗示するかのような警鐘だった。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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