東日本大震災

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今を生きる 牛の命守る 「世話になってきた」安楽死同意せず 広野から通い餌やり

牧場で牛に餌をやる池田さん夫妻

■大熊の兼業農家 池田光秀さん50 美喜子さん54夫妻
 大熊町の兼業農家池田光秀さん(50)、美喜子さん(54)夫妻(広野町在住)は東京電力福島第一原発事故後も、原発から約6キロしか離れていない牧場に通い、約30頭の牛の世話を続けている。「世話になってきた牛をなぜ、殺さなければいけないのか」。安楽死には同意しなかった。将来、畜産だけで暮らしていくという夫婦で描いていた夢は奪われた。だが、「牛飼い」としての使命は全うするつもりだ。
 警戒区域のゲートを抜け、車を走らせる。伸び放題の雑草、人がいない街並み。初めは気味悪さを感じたが、今では見慣れた光景になった。30分ほどで牧場に到着する。「はるこ。えりちゃん」。光秀さんが名前を呼ぶと、待ちかねたように牛たちがすり寄ってくる。震災後に生まれた牛や他の牧場の牛も含め約30頭がいる。原発事故後に生まれた牛は親とはぐれ、やせ細っている。「こいつも自分たちと同じ、原発事故の被害者だ」と感じる。
 昨年3月11日の東日本大震災、そして翌日の原発事故で、池田さん夫妻も避難指示を受けた。「これで最後の餌になるかもな。ごめんね、ごめんね」。泣きながら、飼っていた約30頭の牛たちに言葉を掛けた。避難先を転々とした後、少しでも牧場に近い所に住もうと、広野町内の借り上げ住宅を選んだ。
 昨年9月下旬、町内に自家用車で立ち入りができるようになり、自分の牛を探そうと走り回った。複数の牛を見つけたが、野生化が進み、近づくと一斉に走り去ってしまった。牧場にも初めは牛たちの姿はなかったが、餌箱に繰り返し餌を入れると、徐々に戻って来た。自分が飼っていた以外の牛も交じっていた。
 光秀さんは楢葉町の建設会社に勤務しながら週末になるたび牧場へ赴く。美喜子さんは毎日のように通う。牧場の線量は高いところで毎時約15マイクロシーベルトに上る。「気にならないですよ。牛と触れ合っていると心が晴れやかになる」と美喜子さんは笑う。
 夫妻は、牛たちが今後、放射線の影響の研究対象として世の中のために役立ってくれることを願う。「牛の寿命が先か、資金が底を突くか分からない。でも、最後まで牛飼いを続けたい」。2人で誓っている。

カテゴリー:連載・今を生きる

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