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(1)大切な妻奪われた 48歳、避難先で突然

亡き妻の遺影を見詰める高橋さん。1年以上たっても妻を失った悲しみは変わらない

 「3・11」は今も県民の命を奪っている。2012年11月28日現在、県内で津波などによる直接死は1599人、避難の負担などによる震災関連死は1179人。増え続ける震災関連死は岩手、宮城に比べ格段に多い。東京電力福島第一原発事故で強いられた避難による県民の死は「原発関連死」とも呼べるかもしれない。「避難が無ければもっと長生きできたのに」。遺族の嘆きは深い。さまざまな家族の姿を通して、原発災害の不条理を伝える。

 「お母さんが会社で倒れたって。仕事が終わったら連絡ください」
 携帯電話の娘からのメールに気付いたのは午後6時半ごろだった。
 昨年9月1日。飯舘村から避難している高橋清さん(58)が「残業があるから、夕食は先に食べてて」と福島市大森の借り上げアパートを出たのは午前6時すぎだった。妻の広美さん(48)=当時=は、数年前にも貧血で倒れたことがあり、高血圧の薬を飲んでいた。出掛けに「はいよ」と元気に答えた妻に、変わった様子はなかった。「また貧血かな」。勤務する伊達市のリサイクル事業所を出て福島市東中央の病院に着くまで、それほど深刻に考えていなかった。
 病院には娘二人が先に来ていた。顔が真っ青だ。看護師に呼ばれ、医師の説明を受けた。広美さんが、村から市内に移転した勤務先の測量会社で倒れたのは午後4時半ごろ。運ばれた病院で死亡が確認されたのは約1時間後だった。ベッドで眠るように横たわる妻の傍らでぼうぜんと立ち尽くした。
 広美さんの死因はくも膜下出血だった。担当医からは「避難によるストレスも要因の一つでしょう」と告げられた。大切な人を失ったことを初めて理解した。感謝の言葉を伝える時間は与えられなかった。
 飯舘村で生まれ育った清さんは昭和63年10月19日、福島市の広美さんと結婚した。3人の子どもに恵まれた。広美さんも地域になじみ、飯舘のゆったりとした時間の中、2人でゆっくり老いていくものと思っていた。
 「3・11」によって制御不能となった原発の事故に伴い、村に計画的避難の話が持ち上がってから、家族は気持ちも体も常に追い立てられるようだった。
 どこに避難すればいいのか。引っ越しはどうするのか。仕事は。子どもの学校は...。目の前のことに気を取られ、一番大切にしなくてはならない家族の健康を気遣うことができなかった。「失ってから後悔しても遅い。女房はもう帰ってこない」
 福島市で営んだ葬儀には、自宅がある飯舘村飯樋字八和木の集落の人々が避難先から駆け付けてくれた。広美さんの職場の同僚も参列した。「これだけ周りに思われて女房は幸せ者だ」。広美さんの昔からの友人は、一周忌に大森のアパートを訪れ、遺影に手を合わせてくれた。周囲の気持ちに慰められる日もあるが、ささいなことで感情が高まり、涙があふれる時もある。
 原発事故がなければ、今でも家族の中心だったはずの広美さんの笑顔は遺影の中にしかない。

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