東日本大震災アーカイブ

今を生きる オーストリアへ音楽留学 希望奏でるピアニストに きょう出発 浪江RC後押し

愛用のグランドピアノで練習する吉田君

■浪江から鹿島に避難 相馬東高2年 吉田昂城君 17
 ピアニストになって被災地の希望の星に-。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の影響で浪江町から南相馬市鹿島区の借り上げ住宅に避難する相馬東高2年の吉田昂城(こうき)君(17)は6日、音楽留学のためオーストリアに旅立つ。平成23年夏、同国のロータリークラブ(RC)の招きで訪問。交流した人々から素質を高く評価され、留学を決意した。費用は浪江RCなどが集めた基金から出される。試験に合格すれば10月から同国の音楽大に通う予定で、被災した古里で演奏する夢の実現へ歩きだす。
 ピアノを習い始めたのは3歳ごろだった。幼稚園で音色を聞いてからピアニストになりたいと夢を持ち続けた。平成21年の県ジュニアピアノコンクールの上級で最高賞の金賞・福島民報社長賞を受賞し、全国レベルの大会にも出場した。
 進学先は練習時間を確保できるように、自宅近くの浪江高を受験した。23年3月8、9の両日が試験だった。しかし、2日後に震災が発生。福島第一原発から8キロの場所にある自宅から避難を余儀なくされた。母親の実家に近い南相馬市鹿島区の借り上げ住宅で生活を始めた。浪江高は受験生全員が合格となったが、避難先の南相馬市から近い相馬東高に転学。浪江町の自宅から愛用のピアノを鹿島区の母親の実家に運び、練習に励んできた。
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 転機は相馬東高1年生の8月に訪れた。オーストリアのRCなどが相馬、南相馬両市などの高校生を招待した「短期派遣」のメンバーに選ばれた。約3週間、同国でホームステイをしながら現地の高校生と交流。サヨナラパーティーでピアノを弾き、会場で絶賛された。
 帰国後、東京の同国大使公邸を訪問した際にも演奏を披露。公邸で当時の駐日大使ユッタ・シュテファン=バストルさんらから技術を評価され、留学を勧められた。同国のRCの協力でリンツにあるアントンブルックナー私立音楽大を紹介された。同校は約200年前に創立した音楽学校が前身。同国内の楽団で演奏する音楽家が教授を務めており、ピアノを演奏する映像をパソコンで送信したところ、教授からは「持って生まれた才能、型にはまっていない演奏が素晴らしい。留学を許可したい」と「お墨付き」を受けた。
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 大きな支えになったのが浪江RCだった。同RCが震災後に創設した「ロータリー 東日本大震災 被災青少年夢サポート基金」の最初の対象者になった。留学する4年間、現地での費用の支援を受ける。渡航後、専門学校で語学などを学び、9月に同音楽大の試験を受け、合格すれば10月から通学する予定だ。
 吉田君は「音楽で有名な国でピアノの技術を学びたい。多くの人に恩返しの演奏ができるよう頑張る」と話す。浪江RC直前会長で基金委員長の伊藤公明さん(59)は「町が大変な状況の中で吉田君は希望の星。一流の演奏家となり、浪江を世界に伝える人物になってほしい」と期待を寄せる。

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