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【国策への異議3】公聴会で反対訴える 推進の動きに訴訟決意

原発に疑問を抱く住民は署名活動などで公聴会の開催を求めた。昭和48年9月、福島市で全国初の公聴会が開かれた

 楢葉町の宝鏡寺住職、早川篤雄(73)は、書類の重さの感触を今も思い出す。そこには、町の有権者の4割に当たる約2200人分の署名が掲載されていた。
 昭和47年、国の電源開発調整審議会は東京電力福島第二原発1号機の計画を承認した。その建設場所は、早川が住む楢葉町と富岡町にまたがっていた。署名した住民は、国による原子炉の設置許可に当たって、事前に地元の声を聴く公聴会を開くように求めた。

■開催を直訴
 48年4月、住民は署名を携え、通産省に出向いた。応対したのは、通産大臣、中曽根康弘(94)だった。署名を受け取った中曽根が終始、無言だったことを、住民の代表は記憶している。
 翌5月に公聴会制度の採用方針が決まった。「公開の場で国に意見を述べられる」。早川は胸の高鳴りを覚えながら、意見の陳述に向けて原子力に関する猛勉強を始めた。
 政府主催の公聴会に対して懐疑的な住民は多かった。「どうせ"ごまかし"や"やらせ"にすぎない。参加することは建設に賛成することと同じだ」と脱退する人もいた。
 早川ら残ったメンバーは「『公の場で意見だけはしっかり言うべ』と考えた」と振り返る。
 楢葉町と富岡町で、運動に取り組む「町民の会」のメンバーは、富岡町の海沿いにある旅館に泊まりがけで集まった。当時、東大助手だった立命館大名誉教授の安斎育郎(72)はJR常磐線を使って駆け付け、原子力について一から無報酬で講義した。高校教師の早川のほか、富岡町の「町民の会」に参加した小野田三蔵(75)らも教員だった。のみ込みは早く、日を追うごとに原発への理解を深めていった。

■求めた独自判断
 公聴会は9月18、19の両日、福島市で開かれた。全国初の開催だった。会場となった福島市の県農業共済会館は物々しい雰囲気に包まれていた。「原発反対」などと書かれた赤い鉢巻きを巻いたデモ隊数100人と機動隊がもみ合う中、小野田ら陳述人や傍聴人は会場に入った。
 小野田は「『科学技術庁が安全だと言っているのだから安全だ』との言葉を繰り返す県の姿勢には独自性がなく、政府の下請け機関そのもの。県は県民の意思を反映した独自の判断をすべき」と批判した。
 同時に、小野田は地元の富岡町に対しても、容赦しなかった。数度にわたり町議会に原発設置反対の請願書を出した。関係者間で接待が行われたことなどの「うわさ」も指摘した。小野田は後日、当時の町議から「町の恥さらし」と、ののしられたのを鮮明に記憶している。小野田は「『訴えてやる』とまで言われて脅されたけど、結局は、その後も、何もなかった。事実だったからだろう」と苦笑いする。
 公聴会から3カ月足らず後の12月だった。陳述人の意見を政府がまとめる前に、県は東京電力に対して、福島第二原発の建設を前提とした公有水面の埋め立てを許可した。
 早川らは決意した。「もう訴訟しかない。共産党がどうの、社会党がどうのという、問題ではない。住民として、訴訟を起こす」(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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