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【国策への異議8】不安より大きな期待 "利益共同体"が多数派

長年、原発問題に携わってきた伊東さん。いわき市の自宅には原発事故から2年近くが過ぎた今も多くの相談が寄せられている

 いわき市議や県議を務めた伊東達也(71)は、福島市で3月に開かれる日本科学者会議主催のシンポジウムに備え、資料の取りまとめに当たっている。
 伊東は原発問題住民運動全国連絡センターの代表委員。シンポジウムでは、「原発を巡る自治体と運動」をテーマに掲げた分科会の報告者を務める。その原稿の素案には、福島原発訴訟をはじめ、共産党の市議や県議などの立場で原発問題を取り上げ続けてきた歩みが記されている。

■広がらない活動
 原発が立地する以前の双葉郡の産業は、農林水産業が主体だった。住民の勤め先は限られ、農家の働き手は秋の収穫が終わると、県外の建設現場などへ出稼ぎに向かった。県内の他地域に比べ「貧しい地域」といわれ、双葉郡を含む相双地方の地域開発は県政の大きな課題の1つだった。
 「原発への不安よりも期待の方が上回っていた」。福島原発訴訟で原告団長を務めた富岡町の小野田三蔵(75)は、仲間と取り組んだ活動が地域全体に広がらなかった要因の1つを振り返る。
 福島原発訴訟が始まった昭和50年、東京電力福島第一原発の1号機、2号機は既に営業運転を開始していた。残る3~6号機も建設が進んでいた。11月には訴訟の対象となった福島第二原発1号機が着工した。双葉郡を中心とする相双地方の住民は原発の建設現場や、関連企業で働くなど、原子力産業と関わる人が増加した。
 伊東は当時の原発推進の動きについて「行政、経済、元請けの建設会社などによる"原子力利益共同体"が形作られ、その共同体が地域の多数派を構成した」と指摘する。

■政党色
 訴訟への参加を見送った住民が多数いた別の背景として、伊東は「日本では共産党の色が少しでも見えると、偏っている活動として攻撃される。『共産党が関わっている』と言われると、住民がためらう傾向がある」と分析する。
 「先生、親せきから電話があって『おまえ、"アカの弁護士"の話を聞いただろ』と言われたんです」。弁護団長だった福島市の弁護士、安田純治(81)はミニ集会に参加した住民から後日、そう告げられたことを記憶している。
 安田は、不可解な経験も思い起こす。原告を募るために住民を対象としたミニ集会が開かれる浪江町の集会所に向かう途中だった。地元の支援者が用意した乗用車の後部座席に乗り、夜道を走っていた。バックミラーに、ずっと同じ車のヘッドライトが見えた。「地元の熱心な支援者が後ろから付いてくるのだろう」。安田は気にも留めなかった。
 しかし、同じ日、2カ所目の会場に移る際も後ろから同じ車が追ってきた。運転者は同じ男性だが、ミニ集会の会場内には姿を見せなかった。
 安田によると、集会の翌日になると、集会参加者に対して、その親せきや、職場の同僚などの関係者を通じた"切り崩し工作"が行われた、という。「推進派の誰かが集会の参加者を把握するために、私を尾行していたのではないか」。安田は、そう推測する。
(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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