11日、行われた政府の東日本大震災三周年追悼式と県の東日本大震災追悼復興祈念式では、遺族が前向きに生きる決意を亡くなった家族に伝えた。
■「お父さん心配しないで」 政府追悼式田中友香理さん(双葉)
「もしかしたら生きていたかもしれないのに、見つけてあげられなかった」。政府の追悼式で本県遺族の代表として追悼の言葉を述べた双葉町の田中友香理さん(27)は、津波で亡くなった父利克さん=当時(54)=への思いを切々と読み上げた。
利克さんは警備員の仕事をしており、震災当日は休みで家にいた。津波に巻き込まれて行方不明になり、約40日後に自宅から約1.6キロ離れた場所で遺体で見つかった。
友香理さんら家族は震災翌日の3月12日に自宅周辺を捜したが、見つからなかった。東京電力福島第一原発事故で避難することになり、捜索を諦めた。
追悼の言葉を読み上げる田中さんの左腕で、父親愛用のネックレスを加工したブレスレットが光った。
式終了後、田中さんは「父親が亡くなったとあらためて感じた」と語った。
3年すぎた今も悔しさが消えていない。「あのとき、捜して見つけてあげられていれば違ったんでしょうけど...」。それでも、自宅に帰ったら、こう報告するつもりだという。
「前の生活のようにはいかないけど、いわき市に新しい家もできて落ち着いてきたから、お父さん、心配しないでね」
■志半ばの夫を胸に 県追悼式高木京子さん(いわき)
いわき市久之浜町の無職高木京子さん(62)は県の祈念式で遺族代表として思いを述べ、「生きていることが当たり前ではないことを決して忘れないよう、語り継いでいく」と約束した。
いわき市議だった夫芳夫さん=当時(62)=を津波で亡くした。芳夫さんは「古里に貢献したい」と、住民の小さな要望にも耳を傾けた。震災当日は地元で住民の安否確認に追われていたという。
志半ばで命を落とした夫の無念を思い、自分は何をなすべきか考えてきた。悩むたびに「あなたならどうするか」と芳夫さんに尋ねると、答えが見える。
復興が進む久之浜町の街並みを見ていると、「頑張ろう」という気持ちになる。一方、芳夫さんから「先は長いからゆっくり歩いていいんだぞ」と言われている気がする。
祈念式の壇上から、高木さんは他の遺族に呼び掛けた。「疲れた時は休みましょう。泣きたい時は泣きましょう。笑いたい時は笑いましょう。私たちは亡くなった人の分まで生きていかなければならないのだから」
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