東日本大震災が起きるまで楢葉町の介護施設で調理を担当していた。東京電力福島第一原発事故で避難した平田村中央公民館でシチューのルー作りを手伝ったのを契機に避難者の調理担当を買って出た。村で知己を得た会社社長の後押しもあって平成23年7月に村内にオープンしたカフェのシェフに就いた。「シェフを任されて自信が付いた。楢葉に戻ったら店を出したい」と夢を語った。
平成25年1月に広野町下北迫にカレー専門店「かれーやyuu(ゆう)」を開いた。
震災が起きた6年前まで自分の店を持つなんて思いもよらなかった。それまでは定年まで会社に勤め、その先のことは、その時に考えればいいと思っていた。
■『古里で店を』
避難した平田村にオープンした「Cafe暖らん」の調理場に1年ほど立つうちに、自分の店を持ちたいとの思いが強くなった。
生まれ故郷の広野町に店を構えようと物件を探して歩いたが、所有者が転居していてなかなか連絡がつかない。
諦めかけた矢先、同級生の紹介で今の場所を借りられた。
店ではスパイスにこだわったメニューをそろえ、日本人の舌になじむように試行錯誤を繰り返したカレーをメインに提供している。
開店したばかりの頃は、なかなかお客さんが入らずくじけそうになった。口コミで評判となり、今は多くの人に足を運んでもらっている。食べているお客さんの笑顔を見ていると、これまでの苦労も吹き飛ぶ。
■『新たな夢に向かって』
今もいわき市四倉町にある仮設住宅で暮らしている。毎朝、家を出るのは午前6時半前。1時間ほどかけて店に通っている。午前11時に店を開け、午後3時の閉店後に片付けや翌日の仕込みを終えると帰宅するのは午後7時すぎ。楢葉町に自宅はあるが、震災で大きく壊れてしまい住める状態ではない。クタクタになる日々だけど、今春、楽しみが一つできた。
震災当時、中学生だった20歳の次男が料理の世界に興味を持ち、2月末に料理専門学校を卒業した。いずれは2人で厨房(ちゅうぼう)に立ってみたい。あと何年、続けられるか分からないが、息子に負けないように自ら選んだ道で頑張っていきたい。
(カテゴリー:「3.11」から6年それぞれの軌跡)