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妻を思う心 写真に 門馬利一さん 63 ~富岡町~

「妻の愛した風景を撮り続けたい」。門馬さんは創作意欲をかき立てている

 鍼灸(しんきゅう)師として富岡町でマッサージ師の妻喜美恵さんとともに「芳門(かもん)健康治療院」を営んでいた。連日多くの患者でにぎわっていた。忙しい日々の中、2人で旅行に行くのが数少ない楽しみだった。東日本大震災、東京電力福島第一原発事故は、そんな小さな幸せさえも踏みにじった。

 震災と原発事故後、避難で各地を転々とした。不安を紛らわせようと以前から趣味にしていた写真撮影に没頭した。傍らで、妻が批評をしてくれたり、アイデアをくれたりしていた。この4月に仲間と写真愛好者団体の安達支部をつくる。これまで以上に創作意欲が湧いている。

■『突然の別れ』
 平成23年8月に大玉村に落ち着いた。いつになったら古里に戻れるのか-。将来への不安を抱える中、いつも明るく、朗らかな妻が日常の出来事やちょっとしたエピソードを語ってくれた。どんなに気持ちが和らいだことか。
 慣れない土地で被写体を探しているうちに二本松市の「木幡の幡祭り」に出合った。素晴らしい光景だった。幡競走に心を奪われ、夢中でシャッターを切った。妻も満面の笑みで出来栄えに太鼓判を押してくれた。初めて審査会に出品し、優秀賞に入った。
 26年2月6日に審査会の表彰式があり、その夜、ささやかにお祝いをした。妻は繰り返し、「良かったね」と言い、自分のことのように喜んでくれた。妻が倒れたのは翌朝だった。脳幹出血で救急搬送された先の病院で息を引き取った。まだ、57歳だった。結婚して20年。人生の太陽のような存在だった。まだまだ話したいことがあった。もっと2人で旅行がしたかった。もっとおいしいものを食べさせてあげたかった...。涙が止まらない。何もする気が起きなかった。

■『気持ち前向きに』
 失意の底からはい上がれたのも写真の存在だった。周囲を見渡すと、合戦場のしだれ桜、中島の地蔵桜、安達太良連峰、裏磐梯など福島が全国に誇る被写体があった。カメラを手にすると、なぜかつらい気持ちを忘れることができた。昨年は1000枚以上を撮影した。各地の審査会でも入賞した。
 自宅のある富岡町小浜はこの春に避難指示が解除される。いずれは妻との思い出が詰まった古里に戻ってみたい。でも、今はまだ妻が愛してやまなかった安達地方の山々や花木とともに暮らしたいと思っている。

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