東日本大震災アーカイブ

大震災メッセージ 福島取り戻そう 翻訳家エッセイスト八百板洋子

八百板洋子

 東日本大震災、津波、原発事故による先の見えない不安の中にいる福島の皆さん。日々どんなにお疲れのことでしょう。心よりお見舞申し上げます。

 目を閉じると福島の美しい海が浮かんでいます。子どもの頃、祖母に連れられて毎夏行った原町(現南相馬市)の海です。

 わたしは中通りの飯野町の出身ですが、母の身内が南相馬市、浪江町、双葉町などの浜通りにいます。昨夏、福島の海を舞台に「なみとび」という絵本を書き、今年は海外でも出版されることになりました。故郷の海を外国の多くの子どもたちにも紹介でき、うれしく思っておりました。

 ところが、その海が牙をむいて多くの人の命や暮らしを奪ってしまい身が震える思いです。

 地震や津波は天災で人の力で防ぎきれないこともありましょう。

 でも、その後に起こった原発の事故とその対応にはわたしは悲しみというより怒りを感じました。

 なぜ、国は福島の人たちを第一に守らず経済の方を優先するのかと。

 人の命と暮らしを犠牲にして成りたつ繁栄など許せるものではありません。

 福島は、明治時代から猪苗代湖の発電など東京に電力を供給してきました。その後も、県内のきれいな海のそばに危険な原発を受け入れて、東京や首都圏へ電気を送り続けてきました。

 福島の人たちは、いつも国の重荷を背負って、国の政策に実直に協力してきたのです。

 今、わたしの住む首都圏では計画停電が行われています。街の明かりも消え、店や工場も仕事ができないという悲鳴も聞こえてきます。

 あらためて、福島がつくっている電気が日本と世界の経済を支えていたことにみんなが気付いたことでしょう。

 わたしは痛みと共に、そういう福島で生まれ育ったことをひそかに誇りにも思います。福島の人たちは、義に厚く誇り高い志があるのです。

 でも、それにしても、わたしの故郷は、何という大きな国の犠牲になり、痛手を受けてしまったことでしょう。

 飯舘村はわたしの故郷の近くです。とても気持ちのいい風が吹く村でした。

 牛乳を捨てる酪農家のせつなさ、野菜づくり農家の口惜しさ、それは、福島を愛しているすべての人たちの怒りです。

 どうか、国の繁栄を支えてきた誇りを忘れず、闘うところは筋を通し、ふつうに生きていく権利を勝ちとってほしい。

 今は、早く事故が収まり、日常の生活がもどってほしいと願います。

 そして、浜通り、中通り、会津の人たちが心をひとつにして、みんなで「うつくしま福島」をとりもどしましょう。(日本エッセイストクラブ賞受賞・福島市飯野町出身)

カテゴリー:福島第一原発事故