東日本大震災アーカイブ

今を生きる 踏みだす一歩(18) 社員と共に絆編む

相馬市成田の工場で社員に気さくに声を掛ける笠原さん(右)

 相馬市に本社を置く女性衣料メーカー「福装21」は、夏物の生産がピークを迎えている。相馬市にある2つの工場と南相馬市の工場内にミシンの音が響く。女子社員ら約260人が仕上げた商品は大手メーカーに納入後、国内の百貨店などに並ぶ。
 「みんなの力があってこそ仕事を再開できた」。社長の笠原忠雄さん(69)は、震災後の社員の姿を思い返した。
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 あの日は相馬市尾浜の工場にいた。経験したことのない強い揺れに襲われ、社員に動揺が広がった。直ちに仕事を打ち切り、家のことを優先させた。他の工場の様子を知りたかったが、電話がつながらない。車で相馬市成田の工場を経由し、真野川の近くにある南相馬市鹿島区の工場に向かった。状況を確認し、社員と一緒に高台に避難した。
 それぞれボイラーの配管などが壊れた程度ですぐに復旧できると、その時は思った。ところが、震災後の混乱で業者はなかなか来てくれない。男性社員が申し出た。「自分たちの手で直しましょう」
 度重なる余震への恐怖、生活物資の確保にも窮する中での作業が始まった。ガソリン不足で車を使えず、約15キロ離れた自宅から自転車で通う社員もいた。
 各工場は震災から2週間余りで動き出した。「こんなに早く復旧するとは...」。各大手メーカーは驚き、変わらぬ取引を約束した。
 当時は福島第一原発事故の風評被害がさまざまな分野に広がり始めていた。福装は昭和40年、相馬市が誘致した老舗企業で、3工場の年商は約20億円に上る。「誠意」「熱意」「創意」を掲げて築いた信頼と、社員の強い思いが逆境を乗り越えさせたのだと確信する。
 復帰した社員の中には、津波で家を失い避難所から通う人たちもいる。「さまざまな事情を抱えながら仕事を続ける社員に応えたい」。再開直前の取締役会で、今期の利益を全て社員に配分することを決めた。創業者の現会長の3月から決算期に当たる7月までの給与も充てる。
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 「震災に負けず、少人数でも枚数をアップする」。社員は個人や職場単位で新たなスローガンを掲げた。「遠く離れた仲間が戻り、笑顔で再会できるよう頑張る」。原発事故で避難したままの同僚を思いやるメッセージもある。
 社員が編む一針ごとに絆が深まっていくように感じている。「社員は宝物」という社の信条をこれほど実感したことはない。「何があっても操業し続ける」。それが、会社を支えてくれる社員と地域に報いることだと思っている。

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