東日本大震災アーカイブ

今を生きる 踏みだす一歩(20) 命の旗よ風を切れ

依頼主の思いをかみしめ、製作に当たる西内さん

 騎馬武者の背中で旗指物が風を切る。家紋がはためく。歓声が上がる。「(祭りになると)血が騒ぐんだよ」。南相馬市原町区、にしうち染工場の3代目西内清祐さん(48)は相双地方を舞台にした伝統の相馬野馬追に思いをはせる。
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 原町区内の神社に納めるのぼりを製作中、木造の工場が激しく揺れた。染め物を洗う温水器のボイラーが傾き配管が壊れ、内壁が剥がれ落ちた。
 福島第一原発事故を受け3月14日、衣類や食料など当面必要な物を車に積み込み、家族で山形県の親戚宅に向かった。創業80余年、守り続けた工場がどんどん遠くなる。このまま離れていいのか、身を引き裂かれる思いがした。
 旗指物は、騎馬会員が家紋をあしらい、代々受け継ぐ野馬追のシンボルだ。2代目の父が描いた下絵に染料を塗り、工場近くの水無川にさらす。天日干しして仕上げるまでに1~2週間余りかかる。
 大学を卒業して京都で染め物の修業をし、26歳で家業を継いだ。かつて相双地方に30カ所余りあった工場は次々に看板を下ろし、唯一、伝統を守る。
 震災前、40本余りの注文を受けていた。顔なじみの人たちばかりだった。「無事だろうか。こんな時だからこそ、新しい旗を待っているのではないか」。避難先で心は揺れた。
 10日後、知り合いの相馬市職員から携帯電話にメールが届いた。「西内さんが仕事をしてくれないと、旗指物はできない」
 どのくらいの被害が出たのかさえ分からない中、野馬追の開催に郷土の復興を懸ける人たちがいることを知った。先月16日、妻子を残して工場に戻った。
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 今月初め、市内鹿島区に住む30年来の親友が訪れ、言った。「野馬追に出る。旗指物を作ってくれ」。津波で妻を亡くし、家も失っていた。妻は夫の出陣をいつも陰で支えていた。野馬追に出る理由は聞かなかった。涙をこらえる親友の目が全てを物語っていた。
 手元に3本の旗指物がある。震災前に仕上げた1本は結婚式で披露されるはずだった。残る2本は工場を再開後に染め上げた。今年の野馬追用と、一家の保存用に頼まれたものだ。
 「誰もがさまざまなものを背にして生きている。この旗が依頼主に無事引き取られるまで、自分の仕事は終わらない」。1人1人の思いをかみしめ、旗を染める。

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