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今を生きる 家族の絆心に刻む 本当の帰宅いつ...

一時帰宅を終え思い出の品が入ったビニール袋を手に避難所に戻る大和田さん夫妻

【大和田春男さん73 せつ子さん63(富岡町)】 
 約2カ月半ぶりの古里は人の気配がなく、JR常磐線夜ノ森駅は色とりどりのツツジに包まれていた。富岡町から三春町に避難している会社員大和田春男さん(73)、せつ子さん(63)夫妻は25日、東日本大震災後、初めて戻った自宅で立ち尽くした。
 崩れ落ちた屋根瓦、地割れした庭、散乱する家財...。貴重品やアクセサリーなどをようやく見つけ出した。家族の笑顔が並ぶアルバムは、かさばるのであきらめた。長男、長女や孫との家族だんらんの思い出が脳裏をかすめた。
   ◇   ◇
 夜ノ森駅近くの住宅街にたたずむ大和田さん宅。長男一郎さん(38)、長女ひとみさん(41)の家族も町内に住んでいた。春男さんとせつ子さんの誕生日には毎年、自宅に集まり祝ってくれた。5月5日には孫5人を連れて三家族で1泊旅行に出掛けるのも恒例だった。「あったかい家だったのよ」。家族の話をするせつ子さんに笑みが浮かぶ。
 その幸せな暮らしを震災が奪った。あの日、春男さんは大熊町で林業の仕事をしていた。強い揺れが収まると自宅に戻った。電気は止まり、飲み水もでなかった。2人は、こたつ布団や毛布にくるまり、一夜を過ごした。
 翌朝、春男さんは実家がある川内村に水の調達に向かった。沢水をくんで引き返すと、対向車線に車列ができていた。何が起きたのか、その時はまだ分からなかった。
 消防署員に止められた。「避難指示が出た。これ以上、中には入れない」。原発で"何か"あったことを知った。「家族をどうするんだ」。制止を振り切り、自宅に急いだ。
 その日、三家族で川内村の実家に避難した。しかし、実家がある地域にまで避難指示が広がった。深夜、三春町の体育館に再び車を走らせた。
    ◇   ◇
 一郎さんの妻と高校生の娘2人は当時、東京にいた。程なく一郎さんは東京に向かった。ひとみさんは4月上旬、小中学生の子ども3人を、いわき市の学校に転入させ、夫と共に避難所を去った。
 2人だけの避難生活の支えは、孫らから毎日のように来る電話やメールだ。一時帰宅の数日前、小学3年生の孫と電話で話した。「泊まってくるの? お家に帰れていいなあ」。これまでの生活を取り戻したいと思った。
 しかし、あれほど待ちわびた一時帰宅で、つらい現実が突き付けられた。「戻るにしても長くかかりそうだ。あの楽しかった日々を取り戻すことができるのだろうか」

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