東日本大震災

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絆探して(12) 一瞬の夏涙の別れ 少年野球、いつかまた双葉で

4カ月ぶりに再会して試合に向かうメンバー=会津若松市

 双葉町スポーツ少年野球クラブ監督、斎藤恒光さん(60)が避難している福島市のアパートに1通の手紙が届いた。
 震災と原発事故で離れ離れになった選手は斎藤さんの呼び掛けでチームを再編成し、会津若松市で先月、開かれた少年野球大会に出場した。手紙の差出人はクラブに所属していた6年生の母親。息子が野球を続けられたことへの感謝の言葉がつづられていた。
 斎藤さんは何度も読み返した。そのたびに4カ月ぶりに会った教え子の、1回りも2回りも大きくなった姿を思い出す。

■原発から3キロ 

 クラブの練習場だった町民グラウンドは、事故を起こした東京電力福島第一原発から3キロしか離れていない。町内全域が警戒区域に指定され、住民約7000人は県内外に避難した。選手33人も家族と一緒に茨城、神奈川などに散り散りになった。
 震災前、双葉南小に通っていた主将の森大成君(12)は新潟県上越市に引っ越し、地元の少年野球チームに入った。すぐにレギュラーに選ばれた。だが、かつての仲間と野球ができない寂しさが募る。「みんなはどうしているかな」。親の携帯電話を借りては、横浜市に避難した山本雅樹君(11)らチームメートと何度も連絡を取り合った。
 震災から2カ月が過ぎようとしていた5月上旬。選手の親の携帯電話が鳴った。「7月の大会に選手を出場させたい」。斎藤さんの声だった。

■異なるユニホーム

 真夏の厳しい暑さの中、会津若松市に集まったのは、チームメート33人のうち12人。二百数十キロ離れた富山から駆け付けた選手もいた。
 大会前日、選手は試合を待ちきれない。斎藤さんが一時帰宅で持ち帰った懐かしいユニホームに宿泊先のホテルで袖を通し、素振りを始めた。
 避難先で所属しているチームのユニホームで試合に臨んだ選手もいた。服装はふぞろいでも、心は1つだった。森君は仲間に声を掛けた。「参加できなかった友達の分も頑張ろう」。グラウンドに立てた喜びよりも、来られなかった選手への気遣いが勝った。
 初戦を突破したが、2回戦でコールド負けを喫した。ナインは帽子で顔を覆い、泣いた。敗戦よりも、仲間とのプレーが終わったことが悲しかった。ホテルに戻り、通っている学校の様子や、新しくできた友達の話で夜遅くまで話し込んだ。
 翌朝、森君は車に乗り込むと、見送りの友に何度も手を振った。そして、約束を交わした。
 「いつかまた、双葉で野球をしよう」

カテゴリー:連載・原発大難

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