東日本大震災アーカイブ

【川内・帰村宣言】「戻ろう」「今はまだ...」 店は、病院は、仕事は 住民 揺れる心

テレビで遠藤村長の会見を見る秋元さん夫妻=31日午後6時15分ごろ

 避難区域のトップを切って川内村が「帰村宣言」をした31日、避難住民の胸には、古里へ戻ることへの期待と不安が交錯した。「復興への大きな一歩」との評価の声がある一方で、「除染が終わっておらず、帰るのはまだ早い」との複雑な思いも。既に戻っている村民は宣言が帰還への弾みになるよう望むが、先行きは不透明だ。

■背中押される
 「暖かくなったら村に戻ろう」。郡山市の仮設住宅で1人で暮らす農業佐久間トミ子さん(82)は「帰村宣言」に背中を押された。
 緊急時避難準備区域の解除などを受け、数カ月前から川内村の自宅と仮設住宅を行き来するようになった。1月は5日から30日まで長期間滞在したが、寒さで水道管が凍結したため、仮設住宅に戻って来た。
 キュウリとトウモロコシを栽培していた畑は東京電力福島第一原発事故後、手付かずのまま。「早く畑仕事がしたい。やっぱり古里が一番」と春の訪れを待ちわびる。
 郡山市の借り上げ住宅に家族4人で生活する団体職員古内建治さん(56)も「村が復興へ向けて前進するための節目」と期待を寄せる。
 職場も村役場の帰還に合わせて村内に移る予定で、「いつまでも村を宙に浮かせたままではおけない。みんなの戻る意識があるうちに帰村を促したのは正解」と話す。

■時期見極めたい
 「家に住めないんじゃ、戻る意味がないよ」。郡山市富田町の仮設住宅に住む下川内の農業秋元哲雄さん(75)と妻カツ子さん(74)はテレビで遠藤雄幸村長の会見を見詰め、ため息をついた。
 自宅は警戒区域内にある。昨年秋、村のアンケートで村内に設置される予定の仮設住宅への入居を断った。「郡山は病院や商業施設がそろっている。しばらくは様子を見たい」と思いを明かす。
 郡山市のビッグパレットふくしま北側にある仮設住宅の主婦(77)は腎臓を患う夫と2人暮らし。夫は避難後に症状が悪化し、市内の総合病院に通院している。「村からはとても通えない。医療の充実した場所でなければ安心して暮らせない」と話す。
 同じ仮設住宅で暮らす農業遠藤嘉子さん(51)は戻らないつもりだ。夫と両親の4人で約10アールの水田でコメを作ってきたが、村は村内の平成24年産米の作付けを制限する方針だ。「コメが作れなければ帰る気持ちになれない」と声を落とす。
 小学1年の長女(7つ)らと郡山市の借り上げ住宅で暮らす団体職員の男性(45)は「除染は途中で、原発が安全であるとも信じられない。ゆっくりと帰る時期を見極めたい」と慎重だ。
 同市の借り上げアパートに住む自営業宍戸光二さん(51)は村で鮮魚仕出し店を営んでいた。「戻ったとしても商売は成り立つのか。生活基盤がないと生きていけない」とうなだれた。

■客足戻って
 31日の川内村は真っ白な雪景色の中、日中も底冷えのする寒さが続き、中心部の車や人の行き来はまばらだった。下川内の自宅前で雪かきをしていた大森作造さん(88)は「村の将来を考えれば若い人に戻ってほしい」と話しながら作業に追われていた。
 村によると、人口約3千人のうち、村内に戻っている人は約200人にとどまっている。村役場近くでコンビニエンスストアを経営する秋元安志さん(37)は「除染が進み、雇用が確保されないと人は増えないのでは」と帰村宣言を複雑な思いで聞いた。
 周囲の要望を受けて昨年5月に店を再開したが、売り上げは震災前の3分の1に落ち込んでいる。妻子を埼玉県に避難させ、両親と郡山市の避難先と村内の自宅を行き来しながら働いている。「住民が千人ぐらいになれば経営が成り立つ」との期待はあるが、「売れなかった商品を廃棄する日々が続いている。客足が少しでも戻ってほしい」と強く願った。
 役場庁舎ではこの日、震災による破損箇所の補修工事が続いた。

カテゴリー:3.11大震災・断面