東日本大震災アーカイブ

試練越え たくましく 中学校卒業式

三春校に通う同級生と合唱する富岡二中の牧内さん(左から2人目)

 県内公立中学校の卒業式が行われた13日、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故に翻弄(ほんろう)された約2万人が巣立ちの日を迎えた。三春町の仮設校舎で合同式を行った富岡一、二中は合わせて180人いた同級生が避難で11人だけの式となった。それでも、卒業生たちは後輩に母校再開への望みを託し前を向く。須賀川市の藤沼湖のダム決壊で亡くなった女子生徒には同級生と一緒に卒業証書が贈られた。「決して震災に負けない」。心に誓う卒業生は悲しみや苦しみ、それぞれの試練を乗り越えて新たな一歩を踏み出した。

■富岡一、二の11人後輩に思い託す

 「いつか富岡に戻れる日まで、それぞれのバトンをつないでいってほしい」。富岡町の富岡一中と富岡二中の合同卒業式で答辞を述べた富岡二中の牧内美樹さんは後輩の在校生に母校への思いを託した。
 式の会場は両校が移転している三春町の富岡小中学校三春校。震災から1年が過ぎても、警戒区域にある母校に戻る見通しは立たない。震災前、一中で78人、二中で102人が3年生になるはずだった。しかし、県内外に散り散りになり、卒業生は一中2人、二中9人の計11人のみだ。
 牧内さんは震災後、三春町の避難所で10日間過ごした後、鹿児島県にある父親の実家に避難した。1学期は現地の学校に通った。2学期に母校が三春町で再開すると聞いて迷わず戻ってきたという。
 答辞の中で、震災前の母校での生活を振り返った。伝統を刻んだ富岡二中の校舎、汗を流した校庭や体育館、掛け替えのない仲間...。ほんの1年前まで当たり前の光景だった。
 4月からは家族で避難している借り上げ住宅がある郡山市内の高校に進学する予定だ。「富岡の生徒として卒業できて良かった。失われた時間を取り戻すことはできないが、たくさんの思い出を胸に前へ進みます」と誓った。

■藤沼湖決壊で犠牲 友と一緒良かつたね 長沼父朋宏さん、母喜恵さん

 須賀川市の農業用ダム「藤沼湖」の決壊で亡くなった林萌子(もえこ)さん=当時(14)=。長沼中の式では萌子さんの母喜恵さん(41)が一ノ瀬直市校長から卒業証書を受けた。父朋宏さん(43)と共に娘の証書を見詰めた。
 あの日が全てを変えた。震災当日、萌子さんは喜恵さんとダム近くにある祖父母宅を訪れていた。地震が起き、2人は黒い濁流に襲われた。喜恵さんは偶然助かったが、萌子さんは1カ月半後、湖から約40キロ離れた二本松市の河川で発見された。
 明るく活発で友達が多かった。発見されるまでの間、同級生は千羽鶴を折り、萌子さんの大好きだったヒマワリを実家に届けてくれた。卒業証書は学校が特別に用意してくれた。入場する卒業生の1人が萌子さんの遺影を手にして歩いた。「みんなと一緒に卒業できて良かったね。友達に囲まれて幸せだね」。喜恵さんと朋宏さんには友達と一緒にいる最愛の娘の姿が見えるような気がした。

■豊間での日々忘れない 津波被害学びや戻り笑顔で報告

 校舎が津波の被害を受けたいわき市の豊間中は一時移転している市内の藤間中で式を行った。「校舎がなくても、私たちがいる場所に豊間中はある。そんな思いで1年を駆け抜けてきた」。答辞を述べる吉田碧葉(あおば)さんの脳裏には、古里の真っ白な塩屋埼灯台と海岸沿いの美しい風景が浮かんでいたという。
 津波で古里の風景は一瞬で失われた。避難先には傷だらけの人が大勢いた。何もできない自分が悔しかった。医療関係の仕事に就くことが目標になった。
 式の後、卒業生同士で豊間中を訪れた。かつての教室にみんなで卒業を報告した。「前を向いて進む」。式で見せた泣き顔は笑顔に変わっていた。