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【「前線基地」の苦悩19】見過ごされた「警鐘」 訓練、反省生かされず

東電福島第一原発事故の4カ月前に行われた県原子力防災訓練。避難した住民に対するスクリーニング=双葉町体育館

 東京電力福島第一原発事故が起きた平成23年3月、県は1冊の報告書をまとめていた。A4判で、310ページ余り。事故から4カ月前の22年11月、大熊町のオフサイトセンターを中心に行われた県原子力防災訓練を記録している。
 想定した事故のシナリオをはじめ、通信や放射線モニタリング、住民避難、緊急被ばく医療などの各訓練の模様を記した。関係者に配られた資料、訓練を報じる新聞記事も掲載した。その中に、福島第一原発事故で起きた事態への警鐘ともいえる記述がある。
 「オフサイトセンター自体が被ばくする可能性がある」「自治体を超えた避難(広域避難)についての検討が必要である」
 第三者機関による訓練の評価結果や、参加した各機関・住民がアンケートなどに答えた懸念だった。
 県の原子力防災訓練は昭和58年度に始まった。当初は2年に1回、平成11年度からは毎年度、行われた。事故直前の平成22年11月がちょうど20回目だった。この間、国の原子力総合防災訓練、原発へのテロ攻撃を想定した国民保護訓練と併せて繰り広げたこともあった。訓練のたびに課題や反省が出されていた。
 「今回の事故ほどの過酷事故を考えていなかった」。県原子力安全対策課の職員は、あまりにも懸け離れた訓練と現実との差に立ちすくむ。

■答弁の伏線
 オフサイトセンターの建設準備が進められていた平成12年12月。県議会の本会議で、原子力をめぐる質問が出た。
 「原子力災害対策は何よりも事故がどんな規模で起こるか、その程度によって対応がさまざまになることを明確化する必要がある。過酷事故や重大事故まで想定して、県の原子力災害対策計画を修正すべきではないか」。取り上げたのは共産党の穴沢洋だった。
 県の担当部長が答えた。「過酷事故のうち、スリーマイルアイランド原発事故を想定した原子力安全委員会の防災指針に基づき、計画を策定する」。原子力安全委員会の防災指針を超えるような大規模な過酷事故までは想定しないという意味だった。穴沢の再質問に対して、県側は「チェルノブイリ原発事故までは、わが国において想定することは極めて困難」と述べた。
 答弁には伏線があった。県は本会議の前に知事や部長らの答弁内容をあらかじめ調整しておく。再質問が予想される場合は、再質問の答弁も用意するのが通例だ。当時の複数の関係者によると、県幹部の中には、過酷事故を想定した防災対策の見直しに理解を示す意見もあった。
 しかし、原子力災害の対応は複数の課にまたがり、関係各課の調整がまとまらなかった。結局は、県レベルでの見直しまでは踏み込まず、原子力安全委員会の防災指針に沿う方針とされた、といわれる。

■スピード収束
 22年11月の県原子力防災訓練は、福島第一原発5号機で主変圧器が故障し、原子炉が自動停止した、との想定で始まった。
 2つある非常用ディーゼル発電機は相次いで故障し、全ての交流電源が失われた。原子炉で発生する蒸気だけを使って原子炉を冷却する装置が働いたが、これも停止。原子炉内の水位が徐々に低下する。
 さらに、水位は燃料頭頂部まで下がり、燃料被覆管が損傷して放射性物質が原子炉内に漏れ出すが、格納容器の外には漏れなかった。その後、非常用ディーゼル発電機が復旧して原子炉への注水が再開し、事故が収束する...。途中の電源喪失や放射性物質の漏れ出しなどの段階までは、福島第一原発事故と似通った展開だった。
 訓練は、少しでも実地に即した内容とするため、予想される時系列に合わせながら2日間にわたった。ただ、初日は午後零時半から午後5時までだった。2日目は午前8時半から午後1時20分までの設定で、通算9時間余りの"スピード収束"だった。
 福島第一原発事故は、事故の深刻度を示す国際評価尺度(INES)に基づく暫定評価で、チェルノブイリ原発事故と同じ最悪の「レベル7」とされた。
 原子力行政に関わった県職員OBの1人は悔やんでも悔やみきれない。「原発は安全だという神話にどっぷりと漬かっていた」(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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