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【原発避難の死角(上)】「孤立死」母子は凍死 周囲、異変気付かず 原町

右手前が母子の遺体が見つかった住宅。中心市街地ではシャッターの下りた店が目立つ=27日午後5時20分ごろ、南相馬市原町区

 東京電力福島第一原発事故に伴う旧緊急時避難準備区域の南相馬市原町区で母子の遺体が自宅から見つかった問題で、2人の死因は凍死だったことが27日、捜査関係者の話で分かった。死後2~3週間経過しているとみられ、周囲は2人の異変に気付かなかった。避難地域のコミュニティー維持が難しくなっている現状が浮き彫りになっている。
 捜査関係者によると、母親(69)と長男(47)の遺体が発見された2月、母子方の電気は止められていた。近所の住民によると今冬、母子が灯油を屋内に運び込んでいるのを見たことはなかったという。
 市によると、母親は昨年9月ごろ、南相馬市の自宅から仙台市の次男宅に移ったが、約1カ月後、自宅に戻った。近くに住む民生委員が自宅を訪れてきたほか、母子の様子を近所の住民に聞くなどしていた。
 母子の知人らによると、母親は明るく商売熱心で、自宅の1階部分で開いていた店も繁盛していた。夫が死亡し、3年ほど前に店を閉めてからは元気がなくなり落ち込んでいる様子だったという。

■市、見守りの仕組み構築急ぐ
 市は今回の事態を重くみて、住民の孤立を防ぐ方策の検討に入った。桜井勝延市長は27日、「見守り対策として、早急に新聞配達員などに協力を要請し、異常があった場合は市に連絡してもらう仕組みづくりを急ぐ」と話した。
 母子の遺体は、近くの民生委員が連絡を取れなくなったことを不審に思い、親戚に連絡したため発見された。

近所付き合い難しく

■地域のつながり  「できる限りのことはしてきたつもりだった。本当に残念」。遺体で発見された母子方の近くに住む50代の主婦はうつむいた。  夫を亡くしてから気持ちが落ち込みがちな母親を心配し、姿を見掛けた時は声を掛けてきた。しかし、変化に気付かなかった。「夜、家の明かりがついている日も、ついていない日もあった。いるのか、いないのか...」  母子は緊急時避難準備区域だった自宅に2人暮らしを続けていた。母子宅がある中心市街地はシャッターが閉まったままの店舗が目立つが、住民は避難先から戻りつつあるという。しかし、南相馬市の同区域では現在も約1万3100人が避難しており、近所付き合いが難しくなっているケースが少なくない。家族の中で若い人が避難を続け、高齢者だけで暮らしている住宅もある。  「1人暮らしの高齢者宅で数日間、電気がつかないことを心配して連絡を取ったら市外に避難していた」。行政区長の1人は世帯ごとの生活状況を把握するのが困難な現状を明かし、「近所同士で気軽に声を掛け合える状況を早く取り戻したい」と願った。  商店を営む男性は「風評被害で販売が落ち込んでいる。心に余裕がない時は、誰が店の前を通ったかも分からない」と漏らした。

■奔走の毎日
 市民生委員児童委員連絡協議会の前田重光会長(67)は東日本大震災後、人の出入りが多い被災地での見守り活動の難しさを痛感している。「民生委員は住民の命を守るという使命感で活動しているが、限界もある」と心情を語った。
 借り上げ住宅への避難により高齢者が市内のいたる所に散らばり、民生委員は各世帯の状況把握に奔走している。避難世帯数や家族構成などが毎月のように変わる地区もある。「電話などで連絡しているが、相手が携帯電話を持っていなければ、安否確認さえ難しい」。警戒区域の同市小高区の民生委員は、もどかしさを募らせた。
 震災前に市内にいた民生委員約170人のうち、津波で3人が見回り活動中に犠牲になった。原発事故後に減少したが、現在はほぼ回復した。しかし、1人が1日に訪問できる世帯は5件ほどだ。前田会長は「民生委員が見守りに必要な情報を入手できる仕組みづくりが必要だ」と訴えた。

■足踏み
 南相馬市と同様、昨年9月に緊急時避難準備区域が解除された川内村。「帰村宣言」はされたが、地域コミュニティーがまだ回復していないことなどを理由に、帰村を足踏みする村民もいる。
 帰村した村民は現時点で全体の10分の1程度にとどまる。月2、3回のペースで村内の自宅に戻っている主婦大山幸子さん(57)は「人が少ない所に戻っても...」とため息をついた。郡山市の仮設住宅では近所付き合いがあり、友人とのお茶を飲むのが気を紛らす貴重な機会だという。
 同市の仮設住宅に暮らす農業男性(67)は「除染の進捗(しんちょく)状況も見ながら、仲間みんなと足並みをそろえて戻りたい」と語った。

カテゴリー:3.11大震災・断面

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