■斎藤拓也さん=当時30= いわき市平豊間
東日本大震災の前日、昨年3月10日は、いわき市平豊間の会社員斎藤拓也さんと妻利江さん(32)の結婚10年目の記念日だった。
当日は拓也さんの帰りが遅く、いつの間にか眠ってしまった利江さん。「ケーキを買ってきたよ。今日こそ、お祝いしよう」。11日朝、拓也さんはそう言って会社に向かった。いつもの笑顔だった。
震災直後、会社を出て津波にのみ込まれた。1日だけ持ち越されたはずの記念日。祝える日は来なかった。
拓也さんは小名浜東小時代からサッカーに打ち込んできた。小名浜高を卒業し、いわき市小名浜で海運関係の仕事に就いてからは社会人チームに所属した。どんなに疲れていても、練習には必ず出掛けていった。面倒見もよかった。「おめも行くか」と近所の子どもたちに声を掛け、一緒に公園でボールを蹴っていた。
22年夏、長男永遠(とわ)君(10)=豊間小5年=が所属する豊間サッカースポーツ少年団のコーチになった。「走ろう」「やってみよう」-。高圧的な教え方ではなく、子どもの目線に立った指導をした。四家孝幸監督(57)は「団員の"兄貴"みたいな存在だった。優しさと厳しさを学び、指導者としてこれからというところだった」と惜しむ。
震災当日、最後に拓也さんの姿を見たのは職場の先輩だった。「子どもたちが心配。家に帰ります」。愛する家族の無事を確認しに行ったのだろうか。昨年3月下旬、自宅近くで遺体が見つかった。
教え子が拓也さんへの思いを記したユニホームは今も震災後の住まいに飾られている。「一生大好きです。サッカーがんばります」「楽しいサッカーを教えてくれてありがとうございました」
拓也さんの遺体発見の翌月、永遠君に続いて次男の久遠(くおん)君(7つ)=豊間小2年=も「サッカー選手になりたい」とスポ少に入団した。兄弟そろって懸命にボールを追い掛ける姿に、利江さんは夫の面影を重ねる。
父に憧れ、甘えていた子どもたち。2人は心の支柱を失った悲しみを乗り越え、たくましくなった。緊急地震速報に震える母を抱きしめ、こう言ってくれる。「大丈夫だよ。パパの分までママのこと守るから」
【豊間サッカースポーツ少年団】
約30年前に発足し、現在はいわき市の豊間小、高久小の1年生から6年生まで15人が所属している。東日本大震災後、一時は練習を中断したが、震災から約1カ月後の4月16日から練習を再開した。豊間小グラウンドを拠点にしていたが、現在は市内のア・パースニュータウンドームや郷ケ丘小グラウンドで週2回、練習している。
(カテゴリー:あなたを忘れない)