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【覆された備え3】県、事故報告見合わせ 手薄だった緊急時対策

放射性廃液の漏出事故の原因となったバルブ=県原子力安全行政10周年記念誌より

 昭和48年、東京電力福島第一原子力発電所で放射性廃液の漏出事故が起きた時、県議会は6月定例会の会期中だった。
 県は発生から4時間後の6月25日午後8時半ごろに東電から事故の連絡を受けていた。翌26日の本会議は、社会党の渡辺岑忠(みねただ)=郡山市選出=が質問を予定していた。ただ、国も東電も県も、すぐには事故の発生を公表しなかった。原発の安全管理を一手に握る国と東電などとの間で、公表時期をめぐって行き違いがあったといわれる。

■「軽視」と憤り
 渡辺は事故を知らされないまま質問に立った。県側に事前通告していた内容を変えることなく、原発の安全性をただした。
 答弁に立った知事の木村守江は「原発が人間の健康に害があり、生活環境を破壊するようなものであれば、断固たる措置をとらなければならない」と述べた。だが、漏出事故そのものには言及しなかった。
 質問後、事故が公になった。社会党県議団は「議会軽視」と憤り、党議で県の担当部長を問い詰めた。部長は「事実の詳細が分かるまで(議会に)報告しない方が良かったと判断した。今、考えれば当然、議会に報告すべきだった」と釈明した。
 社会党県議団には、後に双葉町長を務める双葉郡選出の岩本忠夫がいた。同町の福島第一原発敷地内で5、6号機の建設が始まっていた。岩本は本会議で「住民の緊急時に対する備えがなかったと聞くが、その実態と今後の緊急時の対応策を明らかにすべきだ」と追及した。
 今でこそ、原発が立地する各町は県、東電との「安全確保協定」(三者協定)を結び、事故の連絡通報を受けたり、立ち入り調査に加わったりしている。
 しかし、漏出事故が起きた当時、安全確保協定は県と東電だけによる「二者協定」だった。協定に加わっていない地元の町への情報は限られ、緊急時の住民避難などの備えもまだまだ手探りの時代だった。

■繰り返し
 県内で原発が運転を開始して以来、40年余りが過ぎた。この間、大小の事故や設備の不具合、トラブル隠しなどがあった。しかし、昨年3月の福島第一原発事故の以前は、放射性物質が住民の健康や暮らし、地域社会に直接、影響を及ぼすような深刻な事故は発生しなかった。
 東電の不手際や通報連絡の遅れに対して県や地元の町が怒る。そして、国の指示や命令を受けた東電が原因と改善策を県や地元に説明する-。こんな図式の問題処理が繰り返され、過酷事故への対策は先送りされてきた。
 昭和61年4月、旧ソ連でチェルノブイリ原発事故が起きる。大量の放射性物質が放出され、周辺の住民が避難を強いられた。
 「県内の原発で大きな事故が起きないとは断言できない」。放射性物質から住民を守るために、県職員が、ある案を思いつく。元大熊町長の遠藤正が描いたシェルター建設に通じる構想だった。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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