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【覆された備え5】防災計画策定手探り 国の指針超えられず

 3月末に県を退職した鈴木義仁(59)は「かつて手掛けた仕事をどう受け止めるべきか」に思いを巡らす。
 三十数年前に原子力防災に関わった。そして、退職前の1年間は、農林水産部長として東京電力福島第一原発事故による農林水産業の被害対策に追われた。

■素人集団
 「原子力防災を担当してくれ」。昭和54年、鈴木は消防防災課に着任早々、上司の指示を受けた。県に採用されて5年目。原子力は初めての分野だった。
 新しい職場に赴任する前の3月28日、世界の原子力開発を揺るがす一大事が起きた。米国のスリーマイルアイランド原子力発電所の事故だった。
 東京電力の原発が立地する本県にとって、対岸の火事として見るわけにはいかなかった。4月3日、知事の松平勇雄は安全性を厳しく求める談話を発表した。翌日には国に原発の防災対策の強化、東電には県内の原発の再点検を要求した。
 県としても独自の原子力防災対策づくりを本格的に始める必要があった。担当窓口は、鈴木が配属された消防防災課だった。
 鈴木は茨城県の日本原子力研究所で研修を受けた。原子力関係の単位や機器などの基礎知識を頭にたたき込んだ。
 半年余りが過ぎた54年11月、県は原発防災対策実施要綱をまとめ上げ、当時の県地域防災計画を補った。
 しかし、まだまだ不十分だった。翌55年、県は県防災会議に原子力防災部会を設置し、地域防災計画の修正を始めた。部会には小委員会をつくり、専門委員として日本原子力研究所や科学技術庁放射線医学総合研究所から3人を迎えた。
 鈴木によると、県には原子力防災の専門職員はいなかった。「素人集団」だった鈴木ら県の担当者は専門委員の元に足しげく通った。

■線引き
 国の原子力安全委員会が出した防災指針を県の計画にどう反映させるかが大きな焦点となった。中でも、指針に盛り込まれた「防災対策を重点的に充実すべき地域の範囲(EPZ)」の線引きが課題だった。
 指針はEPZを「原発からの半径約8~10キロが目安」とした。県の議論で「8キロと狭く定めては不安が残る。最大の10キロとするべきだ」との意見が出た。ただ、原発を中心とした同心円状にすれば、事故が起きた場合、1つの行政区が分断される可能性があった。最終的に「半径10キロにかかる行政区ごとに線を引く」とされた。この考え方に基づき、避難所選びなどの対策が進められた。
 その後、県は何度も防災計画を見直した。県、立地町、東電の三者で結んでいる安全協定も改正し、地元への通報連絡などの対策を強化した。しかし、国の指針にあった10キロを超えるような広い範囲を県が独自に設定することはなかった。
 安全協定を結ぶ市町村の範囲は原発の立地町に限られ、事故などの通報連絡の対象も立地町と、その周辺に位置する一部の地域に限られた。
 そして、福島第一原発事故が起きた。防災計画に掲げられた重点地域や避難所、通報連絡体制は、被害の拡大防止に意味をなさなかった。原子力安全委員会の作業部会は事故から1年が過ぎた先月、指針の改定案をまとめ、防災対策の重点地域を半径30キロに広げることを示した。
 「EPZよりも広い範囲に被害が及ぶ事故は、当時、国が知見を集約しても想定できなかった。県が中通りや会津地方への広域的な避難を検討することは不可能ともいえた」。鈴木は、国の指針を基本にせざるを得なかった県の防災対策づくりに限界があったことを悔やむ。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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