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【川俣・無防備の戸惑い5】白い防護服見て避難 子どもを車に乗せ西へ

 パトカーの中をのぞいた瞬間、心臓が高鳴った。白い防護服、顔には見たこともないマスク...。2人の警察官の姿が目に飛び込んできた。川俣町山木屋地区に住む女性は1年余りが過ぎた今も、その光景を忘れることができない。
 昨年3月12日午後3時ごろだった。東日本大震災から丸1日が過ぎた。114号国道を走っていたパトカーが自宅近くで止まった。東京電力福島第一原発から直線で約33キロ。浪江町津島地区と境を接する場所だった。
 「浪江方面には行けません」。パトカーはスピーカーで行き交う車に知らせた。女性は心拍数が急速に上がるのを感じながら、近づいた。「ここは大丈夫なんですか。避難した方がいいんですか」
 予想もしない答えがマスク越しに返ってきた。「離れられるのなら、離れた方がいいかもしれない」

■夜半の音と光
 埼玉県出身の女性は十数年前、山木屋地区に嫁いだ。牧場を営む夫を支え、品質にこだわった乳製品作りに力を注いだ。牧場に併設の直売所で販売するソフトクリームは、町内外にファンが多い。
 阿武隈山系での暮らしは都会に比べ、医療や買い物などに不便さを感じる。だが、それを補っても余りある美しい自然が何よりの魅力だった。
 震災発生時は直売所にいた。強い揺れを感じ、裏口の扉を必死で押さえた。揺れが強くなり、そのまま動けなくなった。夫、子どもとその友人は別の部屋にいたが、無事だった。
 揺れが収まると、鍵が閉まっていたはずの窓が全て開いていたことに気付いた。屋外にあった重さ約300キロの灯油タンクもずれていた。
 女性は小学校に通う子どもを急いで迎えに行った。小学生たちは上履きのまま、ランドセルすら持たずに校庭に避難していた。
 自宅に戻ると、停電していたが、ガスは使えた。牛舎に備え付けた台所で、保存していた餅を焼き、車の中で夜を明かした。
 夜半、自衛隊や警察の車両が自宅前の114号国道を浪江方面に向かった。その音とライトで、何度も目が覚めた。「津波被害がすごかったんだろうな」。女性はそう思い込んでいた。

■老夫婦との会話
 震災から一夜が明けた12日朝、福島方面に向かう車が増えた。「駐車場で休ませてほしい」「トイレを貸してください」。浜通りからの避難者が続いた。
 女性は、避難してきた老夫婦との会話をはっきりと覚えている。「原発でガスを逃がすから自宅にいないでくれと言われた」。福島第一原発で試みられた「ベント」だった。
 駐車場で2~3時間、休憩した老夫婦は「そろそろ大丈夫だと思うから、帰ります」と車で浪江方面に引き返した。
 女性は原発で何かが起きていると感じ始めた。ただ、福島第一原発との距離は30キロ余り。「まさか、ここまでは関係ないだろう」。心の中で不安を打ち消してはみた。
 防護服の警察官と偶然、会話を交わしたのは、その少し後だった。女性は山木屋地区をいったん、離れることを決意した。夫は「大切な牛を置き去りにするわけにはいかない」と、とどまった。
 福島市と接する町西部の福田地区は、原発から約52キロ離れている。女性は子どもを車に乗せ、西へ向かった。曲がりくねった114号国道の坂道を下りきると、そこには思いもよらない情景があった。

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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