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【川俣・無防備の戸惑い11】「故郷への道整備を」 バイパス工事今も続く

114号国道「渡利バイパス」の絵馬平トンネル-渡利トンネル間。左奥は福島市の市街地

 「道路知事」と呼ばれた木村守江は昭和39年の就任直後から、県内の道路整備を県政の重点施策に掲げた。福島市と浪江町を結ぶ114号国道の舗装は40年代前半に一気に進んだ。
 「三桁国道」は原則として県が整備した。凍雪害防止工事には国の補助金が付いた。県は県費を足し、道幅を広げる手法を取り入れた。「凍雪害防止対策だけではもったいないから、道幅を広げて道路改良工事扱いにする考え方だった」。県土木部の元幹部は振り返る。

■簡易型
 本来の改良事業は、国が定めた基準の「道路構造令」で、改良に当たっての道幅やカーブの円周などが決められている。県が当時、導入した手法は、カーブの曲がり具合などはそのままにして、道幅だけを広げて路盤を整備することだった。
 本来の舗装は、トラックなどの重量に耐えられるように路盤強化とアスファルト舗装を施す。だが、当時は薄い舗装を敷く簡易型の方式もあった。114号国道に限らず、他の道路整備にも使われ、県内全域の舗装率を上げることにつながった。
 元幹部は「舗装を急いだのは良かったが、カーブや傾斜は、ほとんど手が付けられないまま残った場所がある」と語る。ただ、工事は簡易型であっても、道路の正式な記録である台帳では「改良」として扱われた。
 県土木部が監修した「福島県土木史」(平成2年3月、県建設技術協会発行)には、こう記されている。「福島市と双葉郡浪江町を結ぶ114号(71.3キロ)は道路改良率が昭和58年で100%に達している」

■国道改築
 時代とともに自動車は大型のタイプが増え、交通量そのものも増加した。道幅の狭さやカーブの多さ、渋滞に対して、利用者から改善を求める声が上がった。
 改良に代わって、114号国道に導入されたのは、バイパス工事だった。正式な事業名は「国道改築」と呼ばれる。福島市渡利、川俣町の両バイパス工事の着手は昭和58年度。「県土木史」に「114号は道路改良率が100%に達している」とされた年だった。
 渡利バイパスは2つのトンネルと2つの大橋などを整備した。平成16年1月に福島市豊田町と立子山をつなぐ8.2キロが全線開通した。
 川俣バイパスは町内の中心街を迂回(うかい)する。町内でフェンシング競技を行った「ふくしま国体」の7年に部分供用を開始した。21年3月に鶴沢と小綱木をつなぐ4.1キロの全線が開通した。
 現在、工事が進められている小綱木バイパス(2.6キロ)は13年度に事業に着手し、24年度中の一部区間の通行開始を目指す。

■希望の道路
 22年の交通量調査で、114号国道の1日当たりの通行台数は、川俣町山木屋地区に接する浪江町津島地区で、約2200台だった。
 南相馬市と川俣町をつなぐ県道原町川俣線は飯舘村2枚橋地区で約5000台、相馬市と福島市との間にある115号国道の伊達市霊山町石田地区は約3800台だった。
 浜通り北部と中通りを結ぶ主な三路線の中で、114号国道の交通量が最も少なかった。原発立地地域などの沿線市町村にとって重要な道路とはいえ、交通量だけを見ると、他の道路と比べ、整備に当たって特別扱いされるべき数字ではなかった。
 東京電力福島第一原発事故の直後、114号国道は避難者の車で渋滞した。川俣町に住む元県議会議長の菅野喬之(76)にとって、114号国道は議員在職中の大きな仕事の1つだった。「未曽有の原発事故が起きてしまったが、復興に向けた希望の道路に位置付けてほしい」と望む。
 町長の古川道郎(67)も「避難している山木屋地区や浜通りの住民が故郷へ帰るための道路だ。しっかりと整備しなくてはならない」と力を込めた。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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