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「3.11大震災・福島と原発」アーカイブ

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【安全への問い掛け5】県が独自に監視拠点 福島に移り分析続ける

放射性物質の分析などに取り組む県原子力センター福島支所

 県は5月末、平成24年度の「県職員録」を発行した。500ページを超える1冊に県の部や課の組織、出先機関の所在地、職員名などを掲載している。
 東京電力福島第一原発事故が起きる前の「職員録」と見比べると、所在地を変えざるを得なかった部署が所々にある。生活環境部の出先機関である県原子力センターも、その一つだった。
 センターは福島第一原発から約5キロの大熊町内に設置されていた。事故直後に福島市方木田の原子力センター福島支所に業務の拠点を移した。そして、昨年8月に事務部門を県庁脇の県自治会館に移転した。かつての所在地が、立ち入り制限のある警戒区域に含まれているためだ。
 福島支所で、モニタリング担当のセンター職員5人が支所職員と一緒にゲルマニウム半導体検出器などを使い、土や水の分析に取り組む。自治会館にいる事務担当職員は会館内に設けられた県災害対策本部と連絡・調整に当たっている。

■東と西
 昭和48年1月、県は政府予算編成に対する要望に新たな施設の建設を盛り込んだ。「東日本原子力センター」。福島第一原子力発電所1号機が運転を開始してから間もなく2年を迎える時期だった。センターを拠点に、環境放射能のデータを集めて原発を監視するとともに、原子力や放射性物質の知識を広報する狙いがあった。
 同じような構想を福井県も描いた。福島第一原発より1年早い45年3月、日本原子力発電敦賀発電所が営業運転を始め、同県は「西日本原子力センター」構想を掲げた。
 「福井が西なら、東の原発集積地は福島だ」。原子力安全対策を担う県環境保全課・企画調整班の落合良2(68)ら職員はセンター設置に動きだす。
 県は政府への最重点要望事業に位置付け、知事の木村守江や本県関係国会議員が先頭に立った。一時は「実現は有力」との見方が広がった。だが、最終的に政府予算に組み入れられず、東日本を冠した施設は幻となった。
 原子炉等規制法などによって、原発の安全管理は国の専管事項だった。落合は「当時、国と地方自治体の業務をどう区分けするかが一番のネックとなったと聞いている」と振り返る。

■方針変更
 県は独自の「原子力センター」を目指す方針に切り替えた。
 48年6月、センターの前身となる県原子力対策駐在員事務所を大熊町に設けた。県いわき公害対策センターの現地事務所としての位置付けだったが、ゲルマニウム半導体検出器など最新鋭の測定機器を導入した。2人の技術職員が駐在し、福島第一原発周辺で測定を始めた。当初は月1回程度、職員が原発周辺に機器を運んではデータを集めることにとどまった。
 県原子力センターの庁舎は、当時の県立大野病院の敷地内に建設された。49年6月に着工し、8カ月後の50年2月に完成した。放射能常時監視テレメーターシステム、実験室、計測室、化学機器室を備えた。広報展示室は一般公開された。県の原子力安全行政にとって、画期的な施設だった。センター落成式には、知事の木村や科学技術庁、通産省の幹部らが一堂に会し、原子力安全の拠点完成を祝った。

■システム再稼働
 大熊町内に残るセンター施設は警戒区域に含まれていても、電気と通信機能が復旧し、テレメーターシステムなどが動いている。震災で測定を停止していたモニタリングポストが少しずつ元通りになり、測定結果が自動的にセンターに届いている。
 職員が定期的に訪れ、機器の動作状況を確かめる。そのデータに基づく分析作業は、コンピューターのネットワークを使いながら、県災害対策本部の原子力班と、センター福島支所が担っている。
 県原子力安全対策課長の小山吉弘(59)は、事故後の監視態勢に思いをめぐらせる。「新たなシステムを考えなければならない。ただ、住民の安全や安心のため、原発付近に拠点を置き続ける必要はある」
 センターの設立に関わった落合は「環境放射能などの測定に加え、農畜産物や土壌、海洋生物の調査について過去数10年の蓄積がセンターにある。今後もデータを取り続け、解析や評価が欠かせない」と強調した。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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