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(48)ストレス 仮住まい 慣れない環境 避難所 心身むしばむ 「仮設に移れたのに...」

穏やかな表情で近所の子どもおんぶする進さん=平成23年11月

 郡山市南一丁目の仮設住宅の1室に1枚の写真が飾られている。男性が、近所の子どもをおんぶし穏やかな表情を見せていた。
 2年前の冬、富岡町から避難する無職関根富子さん(66)の夫進さん=当時(72)=は仮設住宅の前で突然倒れた。冗談半分で遺影用の写真を撮影してから約1カ月後の出来事だった。急性脳梗塞と診断された。約5カ月後の昨年5月、意識の戻らないまま同市の入院先で息を引き取った。

 「やっと避難所から仮設住宅に移ることができたのに...」。富子さんは、東京電力福島第一原発事故発生直後の混乱した生活が頭から離れない。
 避難指示が出た後、両足が不自由な長男の進一郎さん(43)らとともに着の身着のまま古里を後にした。県内の避難所を経て、車で静岡、埼玉両県の親戚宅などを転々とした。持ち合わせた現金はガソリン代などで瞬く間に消えた。
 平成23年3月下旬、郡山市のビッグパレットふくしまに転がり込んだ。当時、富岡、川内両町村の住民ら2000人余りが集まる県内最大規模の避難所だった。既に多くの人が毛布や段ボールを敷き詰め、通路以外には足の踏み場もなかった。何とか知人に譲ってもらった場所は、2階部分の施設入り口の窓側だった。避難生活で床擦れが悪化した進一郎さんを、すぐに市内の病院に入院させた。
 夜になると、窓際から冷気が入り込んだ。吐く息は白い。段ボールの上で毛布にくるまり、小刻みに手足の指先をこすった。「明日はきっと温かい食事が出るよ。頑張っぺな」。進さんはそう話しながら、家族を励ました。
 食事配給のアナウンスが流れると、長い行列ができた。進さんは糖尿病を患っていた。支給された、あんパンを半分にして中のあんこを抜き取って食べた。
 避難が続き、町は当面の生活費として住民一人当たり2万円を貸し出した。「好きな物を買って食べようか」。何度も自問した。しかし、事故を起こした福島第一原発は予断を許さない状況が続いた。不安でたまらなかった。借りた金は極力使わずに取っておくしかなかった。

 町はビッグパレットふくしまの多目的展示ホールに、住民の住宅関連の支援窓口を設けた。連日のように町担当者と交渉する進さんの姿があった。
 「足の不自由な息子がいる。早く仮設住宅に入れてくれ」。自身も長距離の避難や、すし詰めの生活で、精神的にも、肉体的にも疲れがピークに達していた。
 7月1日、抽選で入居が決まり、ビッグパレットふくしまの隣にできたばかりの仮設住宅に入った。部屋は台所と4畳半、6畳の和室。生活空間として満足な広さとはいえないが、安心感があった。「家族そろって、古里に帰れる日を待とう」。避難生活はいったん、落ち着いたかのように見えた。
 見知らぬ地での暮らしに必死になじもうとする日々は、心労をより増大させていった。

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