楢葉町の松本幸英町長が29日に示した「平成27年春以降の帰町表明」は、古里への住民帰還へ向けた第一歩となった。避難生活からの再出発を期す町民は避難区域解除を待ち望む。一方、暮らしの展望が開けず、不安の声も上がる。
「(避難指示が)解除されたら妻とすぐに戻るつもりだ」
寝具総合クリーニング業「ヘルシージャパン」社長渡辺清さん(65)は出張先の関東圏で帰町判断を聞いた。「一歩ずつ着実に町づくりをしていきたい」。待ちわびた古里への帰還への見通しが立ち、期待を込めた。
宿泊施設や介護施設向けに寝具のクリーニングや貸布団、機械類の油や汚れを拭き取る布の製造販売などを手掛ける。
避難のため、約10人いた従業員は解雇せざるを得なかったが、23年6月にいわき市久之浜町に仮設の施設を確保し、一部の業務を再開した。
24年1月には市内の四倉中核工業団地に事業所を移した。同年10月には町内山田岡の自宅に隣接する工場でクリーニング業も再開し、現在は再雇用した従業員6人と汗を流している。
いわき市の借り上げアパートから、毎朝妻の藤子さん(65)と自宅と仕事場に通っている。「6号国道の渋滞を避けるため、午前4時半に起きて5時半には家を出る。避難先のアパートには寝るために帰るだけ。帰町できれば体も楽になる」と笑顔を見せた。
自宅のそばをJR常磐線が通っている。運行再開に向け、広野(広野町)-竜田(楢葉町)駅間で訓練運転が続き、自宅まで列車の音が聞こえる。「震災前は何とも思っていなかったが、懐かしかった」
町商工会長も務めている。商工業者の事業再開が町民の帰還には欠かせないと感じている。「一度に多くの店が再開するのは無理だと思う。しかし、積み重ねが大事。商店が再開して帰る人も増えれば新しい町づくりができる」。町の復興への責任感を口にした。
■治療の不安、避難先での絆... ためらいの声も
いわき市小名浜の林城仮設住宅で自治会長を務める猪狩政文さん(62)は「まだ帰る環境にはないのでは」と複雑な表情を見せた。腰の治療で月に2回は病院に通っており、「町に病院が再開しないと不安」という。
100世帯、約250人の楢葉町民が暮らす仮設住宅では、住民同士の絆を守るため、餅つき大会や小旅行などを企画。地域への感謝の気持ちを込めて、仮設周辺で清掃活動も実施している。
「仮設住宅で暮らせば病院も近いし買い物もできる。仮設住宅の外の地域の人も親切」と語り、3年余りの避難生活で新たにできた絆を大切にしたい思いもあるという。
同市の借り上げ住宅で生活する、小中学生の子どもを持つ40代の主婦も帰還をちゅうちょする。帰りたい気持ちもあるが、「学校に慣れた子どもの生活も大切」と話し、数年は市内で暮らす予定だ。
(カテゴリー:福島第一原発事故)