東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で避難し、仮設住宅で生活する人たちの精神的な心労は、日増しに深刻化している。一方で、約3年六カ月にわたる仮設住宅での生活で新たにできた交流が、今度は災害公営住宅への移転で崩壊してしまうのではないかと心配する声もある。震災直後から避難者の生活支援に携わってきた福島大行政政策学類教授の鈴木典夫さんに、地域の絆を維持していくために必要なことを聞いた。
−震災と原発事故による避難生活の特徴は。
「阪神大震災では、体育館での避難所生活が長引き、高齢者や体調に問題がある人が優先的に仮設住宅に入居した。その結果、もともと住んでいた地域住民の交流が途絶え、精神的疾患や孤立死の問題が起きた。これを教訓に、阪神大震災後に発生した中越、中越沖地震などの大規模災害では、ある程度、避難前に住んでいた居住地区単位の『字』ごとに入居するようにしてきた。今回の震災と原発事故による避難者は、市町村単位で入居できたが、字単位とまではいかなかった」
−なぜ「字」単位で仮設住宅に入居できなかったのか。
「震災と原発事故という誰も経験したことのない事故災害が起き、県や市町村の指示系統が一時的に混乱した。住民は各地に離散状態になり、県や市町村は、県内外に避難した住民の数や所在を把握し切れなかった。そのため、避難前の小さな居住単位で仮設住宅に入居することができなかった」
−震災と原発事故から3年六カ月が近づき、仮設住宅での交流が深まっていると聞くが。
「3年六カ月という月日はとても長い。人の交流や付き合いは、月日とともに自然に形成されていく。また、ほとんどの仮設住宅に自治会があり、自治会を中心にさまざまな事業を行っている。民間借り上げ住宅に住む人たちの中にも人のつながりのコミュニティーがつくられている。だからこそ、地域の課題としての視点で、コミュニティーと疎遠になる人々や、健康維持、子育ての課題をかえって焦点化していかなければならない」
−今後、災害公営住宅が建設され、避難者が仮設住宅から移転するとコミュニティーが崩壊すると心配する声もある。
「阪神大震災でも、仮設住宅から災害公営住宅への入居で再び交流を途切れさせてしまった。県は交流が途切れないようにグループでの入居申し込みができるようにするなど工夫をしている。しかし、今回も災害公営住宅が建設され、仮設住宅から移転すれば、現在の仮設住宅における地域の交流、コミュニティーが解体されるのは避けられない。新たなコミュニティーをつくりながら前に進むことも、災害からの生活自立復興の過程として想定しなければならない。ただ解体されるのを待つのではなく、生活支援相談員や復興支援員、保健師ら第三者が、災害公営住宅に移転する前に避難者の生活状態などを共有し、引き継いでいかなければならない」
−地域の絆を強めるためにはどうしたらよいか。
「住民の中に共通項を見つけていくのが重要となってくるだろう。『健康づくり』とか『娯楽を楽しむ』とか、あまり細かくせず、日々の生活の中で取り組んでいる大きなくくりを見つけて、新しい生活の中にも生かしていけば、絆は強まる。絆や交流をゼロからつくり上げるよりは、潜在的な共通項に基づいて新たな交流を深めた方がはるかに効率が良い」
■経歴
すずき・のりお 福島市出身。福島高卒、同志社大大学院文学研究科社会福祉学専攻修了。京都市社会福祉協議会のコミュニティーワーカーとして社会福祉の現場で9年間働いた。高野山大文学部社会福祉学専攻の専任講師を経て、平成11年、福島大行政社会学部助教授となり、23年に同大行政政策学類教授、福島大うつくしまふくしま未来支援センター地域復興支援部門ボランティア育成も担当している。53歳。
(カテゴリー:震災から3年6カ月)