原発事故によりばらばらに避難している被災者は、将来を見通せない現状を嘆く。
浪江町田尻の愛沢精一さん(73)の家族は三カ所に分かれて避難生活を送る。愛沢さんは二本松市の仮設住宅に妻(68)と二人暮らし。長男(45)は仕事の都合でいわき市に住み、長男の妻子は収束作業中の原発や放射線の影響を考慮して千葉県に避難している。
愛沢さんの自宅は放射線量が高く、当面帰還できないと感じている。将来は災害公営住宅に移住したい考えだが、建設が遅れる現状に疑問を抱く。「国が責任を持って復興を主導するべきなのに、全く進んでいる実感を持てない。震災前の元の生活に戻してほしい」と語気を強めた。
大熊町から会津若松市の仮設住宅に避難する木幡仁さん(63)は「町のほとんどは高線量なのだから、もっとしっかりとした除染をしない限りは帰れない」と話す。生活するためにはインフラの整備も必要だ。「全てが終わるころには数十年かかり、多くの家庭で代替わりをしている可能性が高い」と寂しそうに話した。
現在住んでいる仮設住宅も3年が過ぎ、老朽化が進んでいる。天井などにカビが生えている部屋もあるという。
いわき市の仮設住宅で避難生活を送る双葉町のパート従業員山田史子(ちかこ)さん(56)は、中間貯蔵施設に関し、貯蔵開始から30年以内に福島県外で最終処分するとの政府方針について「県外の場所が決まらず、そのまま双葉町が最終処分場所になるのでは」と危惧する。「30年後は、本当に住めるようになるのだろうか」とふるさとの行く末を案じた。
(カテゴリー:震災から3年6カ月)