福島市の笹谷東部仮設住宅の一角に設けられた衆院選ポスター掲示場で、足を止める住民は少ない。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故により避難を余儀なくされた浪江町民160世帯が暮らす。建物の劣化も目立ち始めた仮住まいで、4度目の冬を迎えた。
4日、この仮設住宅を遊説する候補者はいなかった。
「政治家は被災地を真剣に考えてくれているのだろうか。生活はほとんど改善していない」。集会所で開かれたハワイアンキルト教室。自然と衆院選の話題になった。
主婦菅原恵子さん(62)は、帰還の日を待ち望む。狭く、隙間風が入る仮設住宅。温暖な古里と比べ、福島市の寒さは身に染みる。
町は、平成29年3月の避難指示解除を想定している。しかし現在、仮設住宅に住めるのは28年3月までだ。仮設住宅入居期限の延長はあるのか、災害公営住宅に移るべきか、町の計画通りに帰れるのか...。複雑な思いが交錯する。「今後どうすべきなのか自分でも分からない」
「帰還までの道筋をもっと丁寧に説明してほしい」。政治家に聞きたいことは山ほどある。全ての候補者の政策や人柄を吟味して1票を投じたいと考えている。
川内村は10月1日に避難指示解除準備区域が解除された。郡山市の借り上げ住宅から村に帰った村第八行政区長の草野貴光さん(62)は「帰村する人がなかなか増えない」と寂しげな表情を見せる。
震災前は、20分ほどかけて隣町の富岡町に買い物に行った。しかし、富岡町が全町避難となっているため、田村市船引まで買い物に行かざるを得ない。片道だけで1時間かかる。古里での生活再開を喜ぶ一方、不便さを実感する。
仙台市と千葉県に嫁いだ娘に孫が生まれた。待望の孫に会いたいが、村に来ないように言っている。近くに病院がないためだ。「子どもはいつ熱を出すか分からないから」
村民には、双葉郡全体の復興が必要不可欠との思いが強い。「町単独で復興を進めるのは不可能。政治家は双葉郡全体の生活基盤の整備を考えてほしい」と求める。
6号国道の通行規制解除、来年3月の常磐自動車道全線開通など、明るいニュースが続く。しかし、南相馬市小高区から同市原町区の借り上げ住宅に避難している農業井戸川重光さん(67)は「この寂しい生活がいつまで続くのだろう」と住民帰還につながっていない現状を嘆く。
小高区では長男夫妻、孫との4人で暮らしていた。家族でコメの有機栽培農業に取り組んできた。長男仁一さん(35)にコメ作りを引き継いだ直後、原発事故で避難を余儀なくされた。仁一さんらは東京に避難し、就職した。「小高には帰らない」と告げられた。
精神的なストレスから、夜はほとんど眠れない日々が続く。「会話する相手がいない。毎日疲れる」と苦しさを語る。「道路整備が大切なのは分かっている。ただ、安心して暮らせる古里にも早く戻してほしいんだ」
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