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福島をつくる(14) 第1部 企業の覚悟 ワインデング福島(南相馬)

震災の巨大な揺れで、製造中のモーター部品などが散乱した小高工場

<工場移し事業再開>
 「受注が多く、納期に間に合うか厳しい。土曜日だが、あす(12日)も出てほしい」。平成23年3月11日朝、南相馬市小高区のJR常磐線から西へ約300メートルの産業用モーター部品製造「ワインデング福島」小高工場で、工場長の清信(きよのぶ)正幸(43)は社員に頼んだ。朝礼から約6時間後、巨大な揺れが襲った。
 工場の被害はほとんどなかったが、翌日に14キロ南の東京電力福島第一原発で水素爆発が起きた。社員16人は県内外に避難し、散り散りになった。「古里も会社も失うのか」。社長で父の文昭(71)から作業の指揮を任されていた清信の頭に再び「廃業」の文字がよぎった。

 清信は妻や子ども、両親らと会津若松市にたどり着く。社員全員の無事を確認できたが、工場に戻れる見通しはつかなかった。「社員の生活を守るには、解雇して失業保険を受けるしかない」。文昭と決断した直後、携帯電話の音が鳴り響いた。「発注したモーターは他社じゃ作れない。会社、家族ごと千葉の東金(とうがね)市に来てくれ」
 耳を疑った。製品を納めていた日立産機システムの担当者からだった。水素爆発を起こした福島第一原発のがれきを撤去するクレーンや、津波に流された施設の復旧作業にモーターが必要だと言われ、東金への移転を強く求められた。
 「本当にやっていけるのか」。清信は文昭と丸2日間、悩んだ。意を決して社員に相談した。
 「俺は行く」。福島市に避難していた村松清一(58)は即座に応じた。東日本大震災の津波で母や姉、兄夫婦ら肉親5人を失った。どん底の気持ちを紛らわすため、酒が手放せない日が続いていた。創業時から働き、モーター作りに30年をささげてきた。「自分はこの仕事しかない」。社員10人は同じ思いを抱いた。

 3月末に清信らは防護服を着て小高工場に入り、使い込んだ銅線を巻き取る機械や工具、500キロ前後あるモーターなどをトラック6台に載せ、そのまま東金市へ向かった。
 移転先は産業用モーター部品・機械製造「協和工業」(本社・船橋市)の東金事務所。4月から作業を再開した。工場のある南相馬市小高区は警戒区域に設定され、立ち入りができなくなった。「いつ戻れるかは分からない。でも仕事はある。ここで頑張ろう」。清信や社員は新天地で一歩を踏み出した。(文中敬称略)

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