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福島をつくる(38) 第4部 六次産業化 いいたていちごランド(飯舘) 風評に負けず再開

再開後2年目の収穫に向けて余分な葉を摘む佐藤=20日、飯舘村

〈新商品開発に活路〉
 東京電力福島第一原発事故で全村避難している飯舘村。田畑が広がる山あいの一角にイチゴ生産会社「いいたていちごランド」のビニールハウスがある。社長の佐藤博(63)は20日、営農を再開して2年目となる収穫作業に追われていた。
 栽培棚からは赤く熟した実が垂れ下がっている。「順調に育っている。昨年よりも多くの消費者に届けたい」。販路回復への決意をにじませた。

 佐藤は平成16年、いいたていちごランドを創業し、ビニールハウスで主にケーキ用のイチゴを栽培してきた。「ほどよい酸味が甘いケーキに合う」と評判を呼び、県内外の洋菓子店合わせて約30店に卸していた。しかし、23年3月の原発事故で村は全村避難を余儀なくされた。佐藤自身も休業に追い込まれた。
 ただ、ビニールハウスが放射性物質を遮ったおかげで、早期に営農を再開できるめどがたった。24年7月、農場がある二枚橋地区は、農業が禁止されていた計画的避難区域から避難指示解除準備区域に再編され、栽培が認められた。だが、佐藤は迷った。「再開しても、風評被害で売れないのではないか」
 一緒に働いている妻の洋子(63)が、戸惑う夫の背中を押した。「出荷すべきよ。一歩、踏み出すことが重要なんだから」。周辺の田畑の除染が終わるのを待ち、25年11月、作付けを再開した。
 8カ月後の26年7月下旬、収穫したイチゴを名古屋市の市場に発送した。避難区域で生産された食品の農産物が、市場に流通する初のケースだった。「廃棄されたのではないか」。佐藤は売れ行きが気になった。1カ月後に市場から届く売上表を待てず、数日後の8月上旬、市場に出入りしている業者に電話で問い合わせた。
 「全て売れましたよ」。受話器越しの声に佐藤はほっとした。ただ、価格は原発事故前の3分の1ほどまで下がっていた。ケーキは幼い子どもが好んで食べる。県と村の検査では放射性物質は検出されなかったが、市場が過敏に反応したとみられた。それでも「値崩れは覚悟の上。イチゴ作りを再開できたことが重要なんだ」と一歩前進できた喜びに浸った。

 「洋菓子店にイチゴを売ろう」。佐藤は昨年夏に市場に出荷し始めたころ、そう心に決めた。原発事故前まで続けていた販売方法だ。収穫まではこぎ着けたが、洋菓子店にイチゴを売り込む余裕がなかった。仕方なく、知人から紹介された市場に出荷していた。
 しかし、懸念もあった。これまで休業していた間、かつての取引先は別の農家から仕入れている。自分のイチゴが割って入る余地はあるのだろうか-。
 そんな時、風評払拭(ふっしょく)に向け、県から佐藤の元に提案が舞い込んだ。「イチゴの風味のする紅茶を作ってみませんか」。生産物を加工し、新たな付加価値を加える、いわゆる六次産業化(六次化)商品の開発だった。

 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から4年余。農業再生に向け、六次化に活路を見いだそうとする農家や地域活性化の起爆剤として期待を寄せる団体、商品開発と販路拡大を担う関係者を追う。(文中敬称略)

※六次産業化(六次化) 農林漁業者(一次産業)が、生産だけでなく、加工(二次産業)や販売・サービス(三次産業)に関わることで、生産物に新たな付加価値を加えて収入の増加を目指す取り組み。農家が自ら作った農産物を原材料に餅や漬け物などの加工品を製造・販売したり、農家レストランや農家民宿を経営したりするケースが挙げられる。六次化のメリットは農家だけでなく、消費者が生産者の顔が見える安全な食品を購入できるようになるほか、生産から加工までを地元で行えば、加工の代金や賃金が地元に入り、地域全体に恩恵が広がるとされる。

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