仕込みの季節を迎え、会津若松市の鶴乃江酒造は10月29日、洗米作業に追われていた。「3秒前、2、1、水から上げてください」。女性杜氏(とうじ)林ゆり(42)の声が蔵に響いた。蔵人と米を洗った後、水につける時間を秒単位で計測し、重さを量ってはノートに記入していく。
洗米する水は敷地内の井戸からくみ上げている。温度を測ると1年を通して約14度。冬の蔵で保存する米は5度ぐらい。そのまま洗うと温度差で米が割れてしまう。井戸水をいったん屋外のタンクにため、外気でゆっくりと冷やしてから使う。清酒アカデミー(県清酒アカデミー職業能力開発校)で得た知識に、自らの経験を積み上げた技術だ。
「少しは酒の心が分かるようになったのかな」。駆け抜けた日々を思い起こしながら、使い慣れた升に手を伸ばした。
寛政6(1794)年創業の由緒ある蔵元の長女に生まれた。東京農大農学部醸造学科に学び、平成8年の卒業と同時に酒づくりの道に入った。親孝行のつもりだった。
大学で理論と基礎的な技術は身に付けていた。だが、地元会津の風土に合った実践的な酒づくりを学ぶ必要があると考え、入社とともにアカデミーの門をくぐった。先にアカデミーを卒業し、杜氏として活躍していた母恵子(67)の勧めもあった。
かつては男性が担っていた酒づくりだが、当時、徐々に女性の担い手も増えていた。5期生はゆりを含めて3人が女性で、心細くはなかった。
アカデミーの講師や研修先の蔵人は酒米の研ぎ方、麹の作り方、米への麹のまき方など、酒の仕込み方を親身になって教えてくれた。蔵元に泊まり、仕込みを実習する授業もあった。蔵ごとに異なる水や米...。設備に合わせた造り方を知った。「互いに高め合おうという気持ちが伝わった」。長年培ってきた技術を惜しみなく授ける姿に、ゆりは熱いものを感じた。
共に修業に励んだ同期生とのつながりも貴重な財産だ。「優しい、透明感のある酒を造りたいな」「俺は力強い味わいの酒を醸したい」。杯を交わし、語り合った。洗米のやり方を仲間に聞き、参考にしたこともあった。「不安や疑問を率直に相談できるのは心強かった」
アカデミーの2年生だった平成9年。初めて自分の酒を造った。自らの名を冠した銘柄「ゆり」だ。「女性の目線で新しい酒を」と取引先から提案されたのがきっかけだった。
女性好みの甘口に造ろうとしたが、できた酒は辛口だった。もろみを仕込む際の温度管理が不十分で、発酵が進んでしまったのが原因だった。「生き物である菌を扱う酒づくりの難しさを思い知った」。しかし、さっぱりした後味が評判になり、関東圏で広く飲まれるようになった。思いもよらなかった。それから約20年。「ゆり」は自らの分身のように一緒に成長してきた。今では蔵元を代表する銘柄の一つになった。
「自分の酒を飲んでくれた人の笑顔を想像して頑張ってほしい。一緒に福島の酒をもっともっと良くしていこうよ」。ゆりは現役のアカデミー生にエールを送る。(文中敬称略)
(カテゴリー:福島をつくる-未来への挑戦)