東日本大震災

「震災から5年」アーカイブ

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【震災から5年】県内59市町村 住民の思い(上)

いわき市 主婦 石川弘子さん(57) 愛用のカメラを手にする石川さん

 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から5年の節目を前に、県内59市町村の住民はそれぞれの道のりや苦労を振り返る。古里、家族、仕事、将来...。悩みや不安は尽きないが、解決策を探り「新しい一歩を踏み出す時」との思いを強くしている。

■老舗の味守りたい 郡山市 飲食店経営 松崎聡さん(46)
 昭和28年創業の食堂「三松会館」を父から継ぎ、三代目の社長を務めている。
 震災で五階建ての壁が崩落し、屋上の貯水タンクが壊れた。大規模半壊の認定を受け、一時は店をやめなければならないと目の前が真っ暗になった。半世紀以上前から続く老舗の味を途絶えさせたくなかった。応急処置を施し、二カ月後に仮営業を始めた。補修工事後の平成24年6月に再オープンした。
 最初はお客さんが戻ってくるか不安だったが、常連客に加え、復興関連の仕事で郡山に来ている人で店はにぎわっている。
 がむしゃらに働いてきた。5年間はあっという間だった。お客さんがおいしい料理とお酒を楽しめるよう、のれんを守っていく。

■地域の姿追い撮影 いわき市 主婦 石川弘子さん(57)
 震災直後から、津波で甚大な被害を受けた地元・久之浜町の様子をカメラに収め続けている。津波は自宅そばまで押し寄せ、見慣れた町は震災直後に発生した火災で様変わりした。まだ5年、されど5年だ。
 三人の息子の母校である四倉高で生徒の姿を撮り続けきた。5年前から写真は一人ずつ分けてDVDに収め、卒業時にプレゼントしている。
 語り部の活動も継続している。生徒に震災当時の写真を見せ体験を伝える機会もあった。「災害時は自分の身を守れる大人になってほしい」と願い話した。
 多感な時期を全力で駆け抜ける若者の姿を見ると力をもらう。子どもたちを写せるのは幸せなことだ。体が動く限り撮り続けたい。

■喜多方市 会社員 矢部貴志さん(20) 古里で暮らし日々成長
 震災の起きた日は中学の卒業式だった。テレビで目にした大津波や原発事故の光景が今でも目に焼き付いている。喜多方は震災前の日常を取り戻しつつあるように思えるが、今でも大勢の避難者がいることを忘れてはいけないと思う。古里で暮らし、仕事ができるという環境に感謝しながら、日々成長していきたい。

■二本松市 農業 武藤長衛さん(54) ナメコ作り闘い続ける
 専業農家として、きのこ園を営んでいる。放射性物質、風評との闘いの5年間だった。平成23年に三カ月間、ナメコが出荷停止になった。放射性物質は検出下限値未満だが、他県産より安くしか売れない。長年積み重ねたブランド力は地に落ちた。農業をやめたら原発事故に負けたことになる。今後もナメコを作り続ける。

■伊達市 英会話塾講師 大内はるかさん(32) 家族ここで生きていく
 原発事故が起きた時、長男は一歳だった。放射性物質の存在を知らず、外遊びをさせてしまった。知り合いのいない土地は不安だったので自主避難はしなかった。食品検査が徹底されるなど、現在は県内にいるのが安全だと思う。家族はここで生きていくと決めた。国は正しい情報を発信し、私たちの信頼を裏切らないでほしい。

■本宮市 服飾業 遠藤基栄さん(68) 支援を受け販路広がる
 ネクタイなどの服飾品を取り扱い、全国向け事業を展開し始めた時期に震災が起きた。一時は売り上げが落ち込んだが、他県企業からの温かい支援もあり、追い風が吹いたと感じられるほど販路が広がった。前向きに考えれば福島の知名度は飛躍的に向上した。逆境をチャンスと捉え、商品開発や提案を積極的に進めていきたい。

■川俣町 パート従業員 鈴木由美子さん(37) 消費者の不安は根強い
 川俣町の特産品を販売する店「絹蔵」に勤務している。地元の新鮮な野菜が人気だったが、東京電力福島第一原発事故以降、売れなくなった。県外産や海外産が商品棚を占めている。契約農家が安全性を確認した上で持ち込んでいるが、消費者の不安は根強いようだ。風評被害は今も続いている。国は対策に力を尽くしてほしい。

■大玉村 製造業 鈴木正広さん(57) 仲間と活動地域に活気
 キノコ栽培に携わっており、震災から約3年間は県外の拒否反応に苦しんだ。安全への取り組みが伝わり、最近ようやく風評が払拭(ふっしょく)されてきたように感じている。心配なのは農業の後継者不足や耕作放棄地の増加など村が抱える問題だ。将来を見据え、地域おこしグループでの活動を通して村を活気づけていく。

■天栄村 専門学校生 瀬和明弘さん(19) 震災忘れず社会人生活
 震災の際は外にいて、隣の建物の瓦が落ち、怖い思いをした。家の中は家具などが倒れ、数日は近所の人と集会所で暮らした。あれから5年が過ぎる。4月から社会人になり民間企業で働く。期待と不安があるが、震災のことを忘れずに働いていきたい。集会所では多くの人に支えてもらったので、今度は支える側になりたい。

■下郷町 幼稚園教諭 室井幸里さん(37) 子どもが元気な福島に
 田島カトリック暁の星幼稚園で子どもたちの教育に携わっている。震災後に避難してきた園児は、大きな音などに不安を感じていた。気持ちを酌んで寄り添うように接した。5年がたつ中、被災地は帰還が進まない所もあるなどまだまだ復興に時間がかかると思う。全ての子どもが元気に過ごせる福島であってほしい。

■只見町 無職 藤田八重さん(80) 県内鉄道早く元通りに
 JR只見線愛好会員として、新潟・福島豪雨で一部不通になった只見線の復旧に向けた活動をしている。会津若松市などへの旅行で利用するが、代行バスには不便を感じる。地域の生活や観光にとって電車は欠かせない。美しい風景の路線の1日も早い復旧を願う。地震などで被災した県内の線路も元通りになってほしい。

■磐梯町 農業 金田久代さん(88) 被災農地見ると胸痛む
 親子三世代で農業を営み、60年にわたり土と向き合う暮らしを続けている。原発事故の影響で耕作できなくなった農地の写真などを見るたび、胸が締め付けられるようだ。全村避難が続く飯舘村の知り合いは、飼っていた牛を泣く泣く手放した。好きな仕事ができる幸せを感じ、1日1日を大切に過ごしていく。

■猪苗代町 観光業 早坂泰史さん(28) 語学力生かし観光復興
 震災発生から間もなく、カナダに転勤となった。福島を離れての暮らしにもどかしさが募った。今は町内のホテルで働いている。少しでも復興の役に立とうと被災地への募金やチャリティー活動などに参加してきた。原発事故の風評は根深い。海外で学んだ語学力などを生かし、県内の観光復興に貢献していこうと思う。

■柳津町 旅館おかみ 堀内久美さん(56) 七転び八起きの精神で
 震災と原発事故の影響で町内への観光客や旅館の宿泊者が激減した。5年がたち、客足は戻りつつあるが、震災前の水準には届いていない。韓国で東北の復興イベントが中止になるなど風評は依然として根強いが、七転び八起きの精神で踏ん張りたい。観光の回復は復興の象徴になるとの思いで、地道におもてなしを続ける。

■昭和村 農業 渡辺稔雄さん(62) 交通の利便性向上願う
 昭和村と会津美里町を結ぶ401号国道博士峠のトンネル化の早期実現に向けて活動している。原発事故による放射性物質で山のキノコなどは打撃を受けたままだ。過疎化や少子高齢化で疲弊する村にとって交通の利便性向上は地域の活性化を後押しする。村への人の流れをつくるためにも1日も早い完成を目指し声を上げ続ける。

■会津美里町 主婦 湯田敏さん(77) 震災で学んだこと多い
 震災が起きたあの日、仲間と大正琴を練習していた。建物は大きく揺れ、壁に手を当ててしのいだ。町内にも避難所ができ、おにぎりの炊き出しをしたのを思い出す。今でも地震には敏感だ。震災で失ったものも多いが学んだことはそれ以上ある。1日も早い復興を願う。風化させず教訓として語り継がなくてはならない。

■西郷村 会社員 橋本恵一さん(29) 「逆境を好機に」の姿勢
 運送会社に勤めている。震災直後は「福島」と言うと県外の人に危ないと思われることが多かった。取引先が激減するなど苦境が続いたが、現在は徐々に持ち直し、営業先との商談では震災の話題で会話が進み、仕事につながるケースも出てきた。震災の経験を糧に、逆境を好機にするくらいの心意気が大切だと思っている。

■泉崎村 会社員 鈴木紀子さん(46) 除染作業通し地域貢献
 5年前は矢吹町に住んでいた。転職に伴って泉崎村に引っ越し、現在は除染関係の仕事に携わっている。震災後から村内の住宅や事業所などの除染で忙しい日々を過ごした。目の前の仕事に集中していて、あっという間に時間が過ぎたと感じる。県外からの応援に応え、復興を成し遂げるために貢献していきたい。

■矢祭町 自営業 藤井典子さん(46) アフターDCで活路を
 矢祭山観光センターでアユの塩焼きなどを販売している。年々観光客は減少していたが、原発事故の風評が追い打ちを掛けた。明るい話題として、2月にJR水郡線矢祭山駅の駅舎がリニューアルした。久慈川に架かる「あゆのつり橋」も改修工事が進んでいる。アフターDCに合わせて、多くの人に来てもらいたい。

■塙 町道の駅駅長 鈴木公雄さん(71) 消費者と顔でつながる
 道の駅はなわで地元の新鮮な農産物、加工品を販売している。原発事故の風評を受けたが、売り上げは盛り返しつつある。首都圏のアンテナショップでも人気は上々だ。少しずつ消費者と「顔」でつながる関係を築くことができ、安全に対する理解が進んでいると感じている。これからも塙町から福島の元気を発信する。

■玉川村スポーツクラブスタッフ 鈴木広美さん(47) 村民の健康づくり支援
 大震災は衝撃を受けた。自宅の瓦が落ちるなど被害が出た。あの日は長男の中学の卒業式だった。今年も次男が3月11日に卒業式を迎える。5年の月日の流れを感じる。たまかわ元気スポーツクラブも二カ月ほど活動できなかった。今は村民の健康づくりのために積極的に活動している。前を向いて復興へ歩んでいきたい。

■平田村 農業 遠藤友一さん(71) 農業いまだに風評被害
 平成23年の震災は忘れることができない。自宅にいたが大きな揺れで玄関の戸が壊れるなどした。当時、村には広野町民らが避難してきた。何か力になれればと避難所に少しだが野菜を届けた。農業はいまだに風評被害を受けている。村はコメ作りや畜産が盛んで影響は大きいと思う。風評がなくなってほしい。

■広野町 無職 佐々木理津子さん(68) 商業施設にぎわい生む
 2年前に自宅に戻った。近所で帰町した人は少ないが、商業施設がオープンすればにぎわいも出ると期待している。石川町といわき市での3年余りの避難生活で多くの人に助けてもらった。でも、こうした経験は二度としたくない。一人で暮らしているが、足腰を鍛えようと散歩を日課にしている。1日1日を大事に過ごす。

■楢葉町 会社員 島貴良さん(24) 生活環境の整備進めて
 楢葉町上繁岡地区に暮らしていたが、東京電力福島第一原発事故の影響で県内を転々とした。平成23年9月からいわき市の仮設住宅で生活している。町は避難指示が解除されたが、震災前と比べるとまだ店や病院が少ない。国や町には生活環境整備を進めてほしい。もう一度、古里で家族と楽しい毎日を過ごしたいと願う。

■富岡町 社会福祉協議会職員 吉田晶子さん(48) 人々の笑顔のため働く
 郡山市の富岡町生活復興支援センター(おだがいさまセンター)で交流や生きがいづくりに励んでいる。多くの人の協力があり町民に喜ばれる催しを開けている。仮設住宅や災害公営住宅など、住まいは多様化した。センターは町民の落ち着く場所であり続けたい。復興はまだまだこれから。人々の笑顔のために精いっぱい働く。

■川内村 会社役員 猪狩幸夫さん(66) 復興の最前線誓い新た
 震災直後は「自分たちが復興のフロントランナー」との意気込みで、かわうちの湯の再開などに取り組んだ。5年となり、もう一度その気持ちを取り戻したい。村内で工業団地の造成が始まるが、進出する企業で働く若い世代の帰還、移住に期待する。現在、小野町から職場に通っている。改築中の自宅で早く生活を再開したい。

■浪江町 主婦 小野田百合江さん(49) 家族一緒に暮らしたい
 無我夢中の5年だった。夫が大堀相馬焼の春山窯を営んでいた。県内外の避難先を転々とするうちに、家族六人はばらばらになってしまった。二本松市の仮設住宅で長女、長男と三人で暮らしているが、いわき市で窯を再開した夫は義母、次女と三人で生活している。いつか家族六人が一緒に生活できる日が来てほしい。

■新地町 NPO事務局スタッフ 村上茉南さん(24) 元気もらった恩を返す
 南相馬市小高区に暮らしていたが、東京電力福島第一原発事故の影響で山形県などに避難した。平成25年3月から現在の職場で働いている。震災を思い出すと気持ちが落ち込み泣いてばかりいたが、この仕事に就いてからは新地の人に元気をもらい前向きになれた。新地に恩返しができるよう、一生懸命取り組む。

■飯舘村 無職 北山勝雄さん(80) 家修繕帰還準備進める
 平成23年7月から福島市飯野町の仮設住宅で一人暮らしをしている。ストレスで体調を崩し、二回も入院した。村は来年3月までに自宅のある居住制限区域の避難指示を解除する方針だ。1日も早く帰還したい。4月には家を修繕して帰村の準備を始める。国や村は住民が安心して暮らせるよう、復興を急いでほしい。

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