東日本大震災

「震災から5年」アーカイブ

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【震災から5年】県内59市町村 住民の思い(下)

風評に負けない地域づくりに向けて意気込む鈴木さん

■会津若松市 信金職員 鈴木有紗さん(29) 経済活性化手助け
 震災後の4年前に会津信用金庫七日町支店に着任した。昨年からは渉外担当になり、地元の商店街の人と話す機会が増えている。
 原発事故の影響で福島県というだけで小さな頃から親しんできた会津の食べ物や商品が拒まれることがあり、悲しい思いをした。営業で商店などを訪れると、震災から5年が経っても修学旅行生ら観光客数は完全に戻っていないという話を聞く。
 会津の人が「会津から元気を発信しよう」と風評と闘う姿を見て、古里のために踏ん張る会津魂をあらためて感じた。
 金融機関の職員として地域経済を動かす「ポンプ」の役割を果たしながら、地域住民の一人として会津の良さをPRしていこうと心に決めている。

■福島市 大学生田辺将大さん(20) ツアーで現状発信 
 福島大の学生でつくる団体「スタ☆ふくプロジェクト」の一員として、県内外の人に福島の現状を伝えるスタディーツアーを企画・運営している。
 団体は先輩らが震災と原発事故後に発足させた。自らツアーを企画する活動に惹かれ、大学2年の6月に加わった。
 昨年8月にいわき市で水産漁業ツアー、今年2月に会津で日本酒ツアーを実施した。参加者が現地の人々と触れ合い、漁業の厳しい現状に驚いたり、日本酒の魅力を楽しんだりしていた。そのままの福島を見てもらう意義を実感した。
 活動を通じて地域を元気にしたい思いが強くなった。1日から就職活動が始まった。さまざまな職種に触れて目標をかなえたい。

■白河市 行政書士 佐藤雅昭さん(71) 豊かな自然戻る日願う
 震災の時は横浜市に住む長男が心配したため一時避難していた。時間は経過したが、いまだに放射線は心配だ。以前は兼業農家だったため梅の生産と販売をしていたが、今は自家用に育てている。放射性物質検査をし、問題がなくても農産物への風評は根強い。しっかりと除染を済ませ、自然豊かな福島に戻るのを願う。

■須賀川市 大学生 喜古真未さん(22) 建築分野で復興支える
 震災の大きな揺れに見舞われた須賀川市の自宅は屋根瓦が落ち、基礎にひびが入るなどして全壊と判定された。近くに新築するまでの1年間は、壊れた家を直しながら住んでいた。日大工学部の建築学科を卒業し、4月に建築関係の民間会社に就職する。これまで学んできたことを生かし、復興の助けになりたい。

■相馬市 会社員 菊地千秋さん(39) 「海の復興」はまだ途上
 震災直後は水が使えず、ガソリンや食品が不足して混乱した。相馬の復興は進んでいるが、震災前のように海水浴場や松川浦の潮干狩りは再開していない。まだ復興途上だと感じる。子どもが2人おり、放射線の影響は今も気になる。行政などは放射線に関する正しい知識や健康への影響などを正確に発信してほしい。

■田村市 主婦 本田孝子さん(81) 避難者のつらさ感じる
 震災のような大きな災害は人生で初めての経験だった。地震発生から一週間、二本松市にある長男宅に身を寄せた。今でも近所に相双地方から避難してきた人が暮らしている。話を聞くと、帰ることのできないつらさをあらためて感じる。9年前にグラウンドゴルフを始めた。健康のためにも1年間休まず続ける目標を掲げている。

■南相馬市 会社員 板倉英順さん(28 同世代と語らう機会を
 相馬地区内の建設会社に勤めている。先ごろ母校の原町高の改修工事を担当し、震災前の懐かしい姿に思いをはせた。震災と原発事故の後、同世代の若者が減少し、どこかまだ閉塞感が漂っているように思えてならない。まずは自分にできることとして、自分の家庭を持ち、地域の同世代と語らう機会を増やしたい。

■桑折町 無職 内村サクさん(79) 地震二度と起きないで
 震災当時は物資が乏しく、ガソリンや食べ物を得るのに苦労した。その後の原発事故で放射性物質が飛散し、外遊びをする子どもがいなくなった。5年がたち、生活はほぼ元通りになった。しかし、今でもちょっとの揺れで恐ろしさがよみがえる。いざという時の備えはしているが、地震は二度と起きてほしくない。

■国見町 会社員 高橋一貴さん(29) イベント通し町に活気
 地震の被害もあったが、放射線の方が心配だった。直後は情報が少なく、知識が乏しかった。家族を守るため、一時自主避難した同級生もいた。町はまだ元通りになっていない。若者の力で復興のために何かしたいと考えている。現在、商工会青年部で活動している。積極的にイベントを仕掛け、町を活気づけたい。

■鏡石町 飲食業 緑川ヒロ子さん(67) 震災で人の絆強まった
 震災で周辺の水道は断水した。自宅は井戸水も使っていたため、近所の人に水を配ることができた。夫と営むラーメン店は大きな揺れで食器などが壊れ、約1カ月休業せざるを得なかった。心配したお客さんが後片付けを手伝いに来てくれ、ありがたかった。震災は不幸なことだったが、人々の絆は強まったように思う。

■檜枝岐村 自営業 星長一さん(68) 伝統芸能は地域つなぐ
 檜枝岐歌舞伎を上演する千葉之家花駒座は震災後、県内各地で公演をしてきた。被災地支援公演として、平成25年秋には広野町と川内村で演じ、大勢の人が足を運んでくれた。伝統芸能は地域をつなぐ絆になる。公演することで避難している住民が再び集まり、伝統や文化を残す取り組みをするきっかけになればうれしい。

■南会津町NPO法人事務局長 松沢瞬さん(28) 森林認証さらに広める
 NPO法人みなみあいづ森林ネットワークの事務局長として、森林を生かした地域振興に携わっている。埼玉県出身で、震災後に南会津町に移り住んだ。地域の活性化に貢献しながら南会津の魅力を伝えていく。環境保全に貢献している森林認証をさらに広め、アロマなど豊富な森林資源を生かした商品作りを考えたい。

■北塩原村 会社役員 酒井美代子さん(43) 人を呼び込む企画推進
 原発事故の風評は根強く、観光客の入り込みは戻っていないように思う。少子高齢化も進み、村の存続に危機感を覚える。平成25年に地域の宝である子どもを育てようと学習塾を開いた。また、女性有志らと地元食材を使った特産品開発にも取り組んできた。今後も人を呼び込むアイデアを出し、活性化につなげる。

■西会津町 会社員 鎌倉明雄さん(50) 新施設でにぎわい創出
 道の駅にしあいづで店長を務めている。原発事故後は風評の影響で売り上げが落ち込んだ。しかし、ピンチをチャンスに変えようと社員が知恵を出し合った結果、客足は戻りつつある。年内には道の駅敷地内に農産物を販売する新たな施設が完成する予定だ。人が集う、にぎわいの拠点として整備を進めていきたい。

■会津坂下町 団体役員 高久庄三さん(74) 緊急時に備え連携密に
 震災と原発事故発生後は町社会福祉協議会でボランティアの窓口や調整などを担った。当時の町長の判断でいち早く避難者の受け入れ態勢を整えることができ、決断力の大切さを実感した。年間行事でボランティア団体と協力関係を築いてきたのも生きた。緊急時に備え、普段から地域住民との緊密な連携を心掛けていく。

■湯川村 団体職員 二瓶由佳さん(36) 一層住みやすい場所に
 震災の年は会津若松市の派遣会社に勤め、大熊町からの避難者に仕事を紹介していた。平成25年から湯川村で働き始め、27年に村内に家を建て定住を決めた。村は田園が広がるのどかな景色が美しく、交通の便も良い。村が若者の定住促進に力を入れているのも心強く、ますます住みやすい場所になると期待している。

■三島町 団体職員 栗城浩美さん(33) 魅力発信古里に誇りを
 原発事故の影響で山菜狩りやキノコ狩りなどの山の楽しみが減ってしまった。ただ、三島町や奥会津の知名度は徐々に上がり、IターンやUターンする若者が増えてきている。編み組細工や桐(きり)製品、JR只見線の絶景、人の温かさなど町の魅力をさらに発信し、子どもたちが古里に誇りを持てるように盛り上げたい。

■金山町 団体職員 小沼優さん(25) 豊富な資源を売り込む
 震災の後、東京で働いていたが福島県に対する悪いイメージが広まったのを肌で感じた。平成26年3月に古里の金山町に戻り、今は町観光物産協会で働いている。町には山、川、湖という自然や天然炭酸水、天然炭酸温泉などの資源が豊富にある。高齢化が進む町の観光先進地となるように、町の魅力を売り込んでいく。

■中島村 無職 緑川孝夫さん(65) 顔の見える関係を築く
 震災当時は県立聾学校長を務めていて、生徒の避難誘導に奔走した。一時は先行きの見えない状況に不安を覚えたが、中島村では復興が着実に進み、日常が戻っている。再び震災が起きた時に備え、地域のつながりを強めておく必要がある。地域の催しなどを通し、住民同士が顔の見える関係を築き、助け合える環境作りが大切だ。

■矢吹町 無職 渕田淳子さん(73) 県内の復興遅く感じる
 震災直後、宮城県石巻市に住んでいた長男と一週間ほど、連絡が取れず心配していたが、後に無事と確認できた。南相馬市小高区などでボランティア活動に参加したが、岩手、宮城の両県に比べて県内の復興は遅いと感じる。原発事故の影響は続くが、5年もの時間が経過している。今こそ力強く復興を推し進めてほしい。

■棚倉町 会社員 後藤裕真さん(29) 活性化策は次の段階に
 町商工会青年部や、まちづくり団体を通じて、町内の活性化に協力している。震災からの復興を目指して多くの方が古里のために立ち上がってきた。5年を契機に、この力を新しい方向に持って行き、次の段階に進むことが大切だろう。ただ、震災で多くの方が犠牲になった悲しみをこれからも風化させてはいけない。

■鮫川村 主婦 藤田セツ子さん(67) 総菜作り工夫福島PR
 5年前から地元の農産物にこだわった総菜を作り、村の農産物加工直売所「手まめ館」などで販売している。消費者の要望でメニューの種類を増やした。特に、おからサラダやおはぎ、まぜご飯が人気だ。首都圏でも販売する機会があり、福島の食のPRにつながればと思う。今後もおいしいと言われる一品を作っていきたい。

■石川町 自営業 和知勇希さん(29) 若者の力で古里を振興
 震災が起きた時は東京の設計事務所に勤務していた。古里がどうなっているか気掛かりだった。平成27年10月に町に戻り、実家の鉄工所で働いている。地域を盛り上げられればと思い、いわき石川青年会議所に入会した。今、震災の風化が叫ばれている。地元の若者同士で力を合わせ、古里の振興に向け頑張っていく。

■浅川町 団体職員 荒井千賀子さん(48) 風評払拭力になりたい
 震災と原発事故直後は2週間程度、子ども3人を連れて茨城県の親類宅に避難した。あれから5年になるが、福島県全体が真に安全な地域になってほしいと強く願っている。町商工会に勤務しており、地域のおいしいコメや農産物が今も受けている風評を払拭(ふっしょく)できるよう、少しでも力になりたい。

■古殿町 自営業 水野広人さん(29) 町産木材良さ伝えたい
 震災発生時は東京で衣料品販売の仕事をしていた。実家が心配になり、古里のために何かできないかと平成25年に地元に戻り、家業の林業に取り組んでいる。自分のような若手が頑張り、林業の仕事は厳しいというイメージを変えていきたい。古殿町の木材の品質は素晴らしいと思う。県産材の良さをPRしていく。

■三春町 主婦 小山保子さん(42) 外で遊ぶ環境を整える
 子どもの遊び場は外から室内へと変わりつつあったが、原発事故で変化に拍車を掛けた。子どもにとって外で遊ぶ時間が必要だと考え、日本冒険遊び場づくり協会に協力を依頼した。5月から毎月一回、町内の担橋公園に遊び道具を運んでもらい、子どもの遊び場を提供する予定だ。自然を活用した三春らしい子育てを考えたい。

■小野町 会社員 郡司一さん(58) 若者の活動後押しする
 震災による地震の被害は町内ではほとんどなかった。建設作業員として、傾いた建物を修正するなどの仕事を通して復旧・復興に携わってきた。若者からJR小野新町駅前のにぎわいを取り戻したいとの声があり、「駅前の未来をつくる会」が発足し、会長を務めている。若者が中心となった地域貢献活動を後押ししていくつもりだ。

■大熊町 主婦 星野伴子さん(79) 住環境が良くなり安心
 大熊町から会津若松市に避難し、4年余り過ごした仮設住宅から昨年夏に同市の災害公営住宅に引っ越した。新しくしっかりした住宅で安心して暮らせるようになった。
 町や仮設住宅の仲間と交流する機会が少なくなり、寂しい部分もあるが、考えても仕方がない。体を大事に、くよくよせず元気に生きていきたい。

■双葉町 大学院生 小野田明さん(25) 町の魅力を映像に残す
 震災後、住民票を残している双葉町の魅力を映像で残そうと撮影を続けている。地域はさまざまな問題を抱えているが、頑張っている人はいて、町内には桜などのきれいな自然や思い出の場所があると再認識した。今春、茨城大大学院を修了し福島県内に就職する。福島をもっと知って良いところを発信していければと思う。

■葛尾村 無職 松本惇夫さん(68) 帰還し家庭菜園したい
 原発事故による避難生活は当初、2、3日程度だと思ったが、もう5年になった。三春町の仮設住宅で暮らし、避難生活に慣れてきた。一方で、無意識のうちに避難によるストレスを抱えているのではないかと心配している。今年の目標は村に帰ることだ。イノシシとの戦いになるかもしれないが、家庭菜園を始めたい。

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