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新天地に伝統の工房 浪江から避難山田正博さん

矢吹町で作陶を続けると決意する山田さん。常設の工房内には浪江で使っていたいろりを設け、温かみのある雰囲気をつくった

 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で浪江町から矢吹町に避難している大堀相馬焼栖鳳(せいほう)窯の3代目窯元・山田正博さん(67)は5月にも、矢吹町で新たな常設の工房を開所する。避難後はプレハブの仮設工房で営業を続けてきたが「矢吹にしっかりとした基盤をつくり、大堀相馬焼の伝統をつないでいきたい」と誓う。

■「家業つなぎたい」
 山田さんは矢吹町新町の4号国道沿いに新たな工房を整備した。木造平屋で延べ床面積は約80平方メートル。工房内には浪江町で使っていたいろりを設け、温かみのある雰囲気をつくり上げた。作陶棚には大堀相馬焼独特の色合いと馬がデザインされたおわんや皿、コップが並ぶ。
 「本音をいえば、古里で再開させたかった」。今回の工房建設は苦渋の決断だった。震災前に営んでいた工房と家は浪江町大堀の帰還困難区域内にある。昨年12月に一時帰宅した際、工房は時間とともに朽ち、家の中は野生のイノシシなどに荒らされていた。「海は近く、川はきれい。山では山菜が採れ、アユ釣りも楽しんだ」。故郷の思い出は今も色あせない。
 仮設工房は震災前から矢吹町で開催していた陶器市がゆかりで、避難後、2013(平成25)年9月にオープンした。あれから5年が過ぎようとしている。浪江や相双地方の常連客も被災し避難している人も多く、売り上げは震災前ほど回復していない。
 「明治時代に祖父が栖鳳窯を立ち上げた。100年以上続く家業を自分の代で絶やすわけにはいかない」。年齢は60代後半となり、まだ余力があるうちに常設の工房を作ることを決めた。仮設工房の近くにあった空き地は大通りに面した交通の要所で、栖鳳窯をより幅広くアピールできると考え、土地を買い工房を整備した。敷地内には新たな自宅も建てており完成次第、工房をオープンする。5月からは東京で働く4代目の長男茂男さん(40)も新たな工房で陶器制作に取り組み、父とともに受け継がれた伝統を守る。
 山田さんは「矢吹で続けようと決めた。誰もが気軽に集まれる工房にしたい」と前を向いている。

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