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7年ぶり、思い出と再会 大熊の大野小 町民立ち入り

思い出いっぱいの大野小の教室で私物を確認する青田さん一家

 東京電力福島第一原発事故に伴い、帰還困難区域となっている大熊町の大野小で2日、東日本大震災時の児童や保護者らが約7年ぶりに校舎内に立ち入り、教室に置いたままだった学用品などを確認した。原発事故後、町内の学校に町民が立ち入るのは初めて。

 県内外から6組13人が訪れた。このうち、いわき市に避難している自営業青田将彦さん(43)の一家3人は当時5年生だった長男(18)の教室などを見て回り、思い出の品を写真に収めた。自身も大野小の卒業生という青田さんは「母校に来ることができてうれしい。立ち入りの機会を設けてもらい、ありがたい」と話した。
 校舎への立ち入りは国の除染が終わったのを踏まえ、町教委が企画した。4日までの3日間、15歳以上になった児童や保護者らを対象に午前10時から午後2時まで校舎を開放している。3、4の両日は計31組が訪れる予定。前日までに帰還困難区域への立ち入り申請をすれば、当日の受け付けでも入れる。

■大野小 当時の児童ら立ち入り 「大熊に戻りたくなった」

 東日本大震災と東京電力福島第一原発原発事故後、初めて学びやを訪れた小勝(こかつ)優希さん(15)=茨城県つくば市、谷田部中3年=は2日、両親を伴い7年ぶりに、かつて通い慣れた大野小の教室に足を踏み入れた。
 「これは何?」「絵の具?」。父浩さん(41)、母洋子さん(40)と1階の教室で自分の机やロッカーを見つけ、絵の具セット、クレヨンや名札が入った道具箱、あどけない文字で書かれた算数ドリルなどに懐かしげに見入った。
 すっかり丈の合わなくなった机に座ると笑顔で写真に収まった。「当時に戻ったようでうれしい」と目を細めた。
 同級生とは離れ離れだが約60人中、20人ほどとは無料通信アプリ「LINE(ライン)」で連絡を取り合っている。「みんなに見てきたことを伝えたい」と話した。
 洋子さんも大野小から巣立った。「校舎へ立ち入りできるとは思ってもいなかった。とても懐かしい」と感慨深げだった。
 思い出の品々は放射線量が基準値以下であるのを確認して持ち帰った。小勝さんは道具箱やドリル、国語辞典などをいとおしげに抱えながら、「大熊に戻りたくなった」。古里への思いを口にした。

■震災当時の資料散乱 本紙記者ルポ
 震災と原発事故から7年を前に、町民に初めて公開された大野小は、震災直後の痕跡を今に伝えていた。一方で除染が進み、校庭がきれいに整えられるなど歳月の流れを実感した。
 町内の帰還困難区域の入り口の一つ「秋葉台ゲート」の近くに校舎はある。職員室には2011(平成23)年3月の資料が散乱し、2階の多目的ホールは壁や天井が大きく剥がれ落ちていた。教室には机や子どもたちの掲示物が並ぶ。町教委によると、震災時、町内の児童数は大野、熊町両小を合わせ約750人。現在は2校合わせて約30人で、会津若松市の旧河東三小で学んでいる。
 校庭の表土や雑草は取り除かれ、フレコンバッグに保管されている。校舎脇の線量計は除染や自然減衰による低減効果でおおむね毎時0.236マイクロシーベルトを示していた。町の復興は緒に就いたばかり。訪れた親子たちの笑顔に未来への希望を感じた。(会津若松支社報道部・近藤 真知)

カテゴリー:福島第一原発事故

震災後初めて母校を訪れ、教室から私物を持ち出す(右から)小勝優希さん、母洋子さん、父浩さん

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