日本百名山で知られる深田久弥は1962(昭和37)年元日、那須連峰の朝日岳山頂に立った。翌日、下山時に茶臼岳と朝日岳の間の鞍部[あんぶ]を通過しようとして想像を絶する暴風に遭遇した。はい進んで窮地を脱したが、よほどこたえたのか「言語道断な風」と自著に記した▼鞍部の強風は広く知られている。地元西郷山岳会は、この場所を「唐箕[とうみ]の口」と長らく呼び習わしてきた。風を利用して重い収穫物と軽い夾雑[きょうざつ]物を選別する古来の農具を指す。風が物を吹き飛ばす地点の例えだったらしい。農具が生活から消えても、言葉に託した警告が連綿と残った▼今月初旬、朝日岳周辺で60代から70代の登山者4人が遭難し、帰らぬ人となった。風と寒さで身動きがとれず、低体温症になったらしい。居合わせた登山者は小石が顔に当たるほどの猛風だったと証言する。救助隊ですら活動を暫時見送らざるを得なかった▼朝夕、連峰の稜線[りょうせん]を望む土地に住む者にとって、隣県の朝日岳は指呼の間にある。遭難の報に接し、献花のために駆け付けた福島県民もいたという。事故後に入山した山男の「今年の那須甲子の紅葉は、とりわけ美しく見えた」との声は、どこか悲しげに聞こえた。<2023・10・31>