福島市出身で元サッカー日本女子代表監督の高倉麻子さん(57)が日本サッカーの殿堂入りを果たし、16日に東京都内で式典が催される。競技の黎明[れいめい]期から第一線で活躍し、指導者として選手育成に尽力した功績が認められた。スポーツ界の女性活躍の先駆者が示した類いまれな挑戦心を、分野を超えて次代に伝えていこう。
高倉さんは福島市の岡山スポーツ少年団でサッカーを始めた。進学した福島成蹊女高(現福島成蹊高)時代には、福島工高で男子と技を磨いた。15歳で日本女子代表に初選出され、国際Aマッチ79試合に出場し、29得点を記録した。第1回女子ワールドカップ(W杯)、女子サッカーが初めて競技に採用された1996年アトランタ五輪でプレーした。引退後は後進の指導に携わり、2016(平成28)年から2021(令和3)年まで日本女子代表「なでしこジャパン」を率いた。女子サッカーが日本に定着する礎を築いたわが郷土の「レジェンド」とたたえたい。
今回の栄誉を、本県サッカーの競技力向上につなげるべきだ。本人の名前を冠したジュニアの大会を創設し、その活躍を紹介してはどうか。子どもの励みとなり、「福島からでも世界で活躍できる選手になれる」と、自信が生まれる。本人によるサッカー教室や指導者向け講習会を継続して開催できれば、競技力の底上げにつながる。本県出身選手の活躍で、なでしこジャパンが再び世界の頂点に立つ日を夢見たい。県と県教委、スポーツ関係団体は連携を図り、前向きに検討を進めるよう願う。
日本サッカー協会の選手育成機関「JFAアカデミー福島」の女子は東京電力福島第1原発事故の影響による移転を経て昨年、静岡県内から13年ぶりに県内に拠点を戻した。高倉さんの出身地であることも併せて発信すれば、「再生と挑戦」の象徴として「ふくしま」の名前は世界に改めて広がるだろう。
産業、政治などあらゆる分野で今、一層の女性進出が求められている。高倉さんの歩みは、さまざまな逆風をはね返しつつ、未踏の地を切り開いた苦闘の連続だったに違いない。その人生論に、県民がじっくりと耳を傾ける機会も設けてほしい。(渡部純)