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フクシマからの報告2(2)「現場無視」の線引き 責任、自治体に押し付け 

 会津美里町の中心部にある旧高田幼児保育園で、楢葉町民40人ほどが避難生活を送っている。11日、町長の草野孝は東京電力福島第一原発事故で古里を追われた人たちと向き合った。疲れの色を濃くする町民に10日から始まった一時帰宅の手順を説明した。
 町の大半のエリアが警戒区域となった。「こんなはずではなかったのに」。草野の胸の内にはやり切れぬ思いがあった。

 「話が違うじゃないか」。4月22日、楢葉町が行政機能を移した会津美里町本郷庁舎で、草野は声を荒らげた。
 前日、政府の原子力災害現地対策本部、県と2時間もの協議の末、警戒区域を決めた。「町民に差を付けるわけにはいかない」。地域の結束と町民の安全を守っていくためにも、全域を警戒区域に設定する道を選んだ。
 政府が警戒区域とした半径20キロの同心円は町南西部に位置する楢葉工業団地を横切っていた。「工業団地の企業が工場から機材を持ち出す必要がある場合、町長権限で許可できるんですね」。政府の担当者にその点を確認し、約束を取りつけた。
 しかし、翌日、警戒区域に入ろうとした企業関係者が検問で立ち往生した。「約束したはずだ」。草野は現地対策本部の担当者を問い詰めたが、「東京と調整中」と繰り返すばかりで、ゲートは閉ざされたままだった。
 警戒区域への立ち入りは、首長が現地対策本部長と調整した上で、公益性を判断し、許可するかどうかを決める。町長権限だけでは決定できない事項だった。前回、協議の場に着いた政府の担当者からは、それが伝えられなかった。
 「だったら全域を警戒区域にするのは、かえってマイナスだ」。町南西部の20キロ圏外を立ち入り可能な緊急時避難準備区域にする選択肢しか残されていなかった。一夜にして「線引き」が変わり、町は分断された。
 「半径20キロの線は家屋や工場の屋根の上にかかっている所もある。政府は現場が分かっていない」

 南相馬市の応接室。4月17日、市長公室長の大谷和夫は官房長官の枝野幸男に詰め寄った。「第一原発から半径20キロと30キロの線を図面に落としてほしい」
 市内は原発から20キロと、30キロの距離を示す線が東から西に向かって走る。政府が半径20キロ圏内に避難指示、30キロ圏内に屋内退避指示を出した3月中旬。350ヘクタールに及ぶ第一原発の中心点が分からず、大谷は住民の問い合わせに答えることができなかった。
 「100メートル違うだけで住民の生活は制限され、補償にも大きな影響が出るはずだ」。避難指示区域は国が設定するため、現地対策本部に幾度となく掛け合った。しかし、対策本部側は「半径20キロ。市の判断で線引きを」と繰り返すばかり。やむを得ず市は「おおむね20キロ」に線を引き、避難を促すしかなかった。
 枝野に線引きを求めた後、政府は4月中旬になって「第一原発の中心点は1、2号機の排気筒と3、4号機の排気筒の中間地点」としてきた。それにより市が原発から20キロと想定してきた線が内側に100メートルほどずれた。市は益田地区の約60世帯を警戒区域から外さざるを得なくなった。
 「避難しなくて良かったんじゃないか」。市には苦情が殺到した。その報告を受ける度、大谷には、やり場のない怒りが、込み上げた。「政府の指示は唐突で遅く、市町村には責任を課すだけだ」(文中敬称略)

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