東日本大震災アーカイブ

浪江一時帰宅ルポ 変わらぬ町並み閑散

車の往来がなくさみしさが漂う浪江町の6号国道

 警戒区域に指定されている浪江町に4日、一時帰宅した。3月11日に被災するまで、平成20年4月から3年間、浪江支局で過ごした。一見するといつもと変わらない町並みは、道路にまで雑草が生え、人けのないさみしさが漂っていた。

 参加した町民は、わが家に戻れる喜びと不安が入り交じった表情で中継基地の南相馬市馬事公苑に集合した。マイクロバスに分乗し警戒区域に入り、同市小高区から六号国道を南下し浪江町の114号国道に入った。約200メートル先に自宅兼事務所がある支局の看板など見慣れた風景が目に入った。

 6月下旬に事業所で許可を受け、立ち入って以来の一時帰宅。わずか一カ月余りの間で、自宅の廊下に置いていた山芋からつるが伸び、天井に向かって壁をはっていた。

 許された2時間で、衣類などを袋に詰め込んだ。片付けが一段落し屋外に出ると、例年の夏と変わらないセミの鳴き声や小鳥のさえずりが聞こえた。東京電力福島第一原発から約9キロ離れた支局周辺の空間放射線量は毎時0・3マイクロシーベルトほど。移動を含め約2時間半の滞在で個人の積算放射線量は0だった。

 「思い残すことばかり」。帰りのバスの中で同乗した人がぽつりとつぶやいた。数々の思い出が詰まった町に後ろ髪を引かれながら帰路に就いた。(浪江支局長・浅見 公紀)

カテゴリー:福島第一原発事故