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【覆された備え9】予期しない町外避難 40年の「安全」を過信

国会の事故調査委員会で、原発事故直後の混乱を語る渡辺町長(左)=22日、会津大

 東京電力福島第一原発事故を調べている国会の調査委員会(国会事故調)のメンバーが次々と質問を繰り出した。
 「日頃の訓練は役に立たなかったと思いますか」
 「ヨウ素剤はいつ服用すれば有効だと考えていましたか」
 今月22日、国会事故調は会津若松市の会津大で11回目の会合を開いた。福島第一原発が立地する大熊町の住民の思いを聞くためだった。
 古里を離れた町民約3100人が市内の仮設住宅や借り上げ住宅で暮らす。全町民の3割近くに当たる。多くの町民が国会事故調の会場に詰め掛けた。
 委員長の東大名誉教授・黒川清は町民の代表に発言を促した。「事故の真相究明に向け、最も大事なのは被災された側に立つことだ」
 正面に並んだ町長の渡辺利綱(64)や町職員、行政区長会や消防団の代表は、国や県からの情報が途絶えた中で、手探りの判断や行動を強いられた1年前を語り始めた。

■専用回線
 マイクを手にした渡辺は、3月11日午後2時46分からの出来事を時系列でたどった。町役場に設置された全国瞬時警報システム「Jアラート」は作動せず、テレビで大津波警報の発令を確認した。県総合情報通信ネットワークの電話やファクス、NTTの電話回線は、ほとんどつながらなかった。
 町役場から5キロ近く離れた福島第一原発との間には専用回線が設けられていたが、役に立たない。辛うじてつながった福島第二原発との専用回線で両原発の非常停止を確認した。
 間もなく、東電から町に福島第一原発の異変が次々と伝わる。午後4時すぎに「電源喪失」、午後5時に「非常用炉心冷却装置の注水不能」。重大な事故の予兆といえる内容だった。
 地震発生から3時間が過ぎるころ、辺りは夕闇に包まれ始める。二次災害の懸念があるため、町は津波による行方不明者の安否確認を中断し、12日夜明けからの再開を決めた。
 地震と津波に伴い、自宅や勤務先などから避難した町民は町総合スポーツセンターに次々と集まった。町は仮設トイレ、投光器を調達し、給水車で飲料水を運び込んだ。炊き出しは夜を徹した。
 午後7時3分、政府は福島第一原発の「原子力緊急事態宣言」を出す。この時点で町は国や県から具体的な行動は求められていない。渡辺は大きな危機感をまだ抱かなかった。
 「原発事故による避難」という言葉が伝わってきたのは、それから約1時間後のことだった。午後8時ごろ、福島第一原発の広報担当者2人が町役場を訪れた。「原発から半径3キロ圏内に避難指示が出る」と告げた。町民にどう知らせるかの事前相談だった。
 政府は午後9時23分に3キロ圏の避難指示を出す。午後11時を過ぎたころ、副知事の内堀雅雄、東京電力副社長の武藤栄が町役場に着く。ただ、詳細な状況報告はなく、渡辺は「原発はまだ大丈夫だ」と受け止めた。

■警察官の誘導
 一夜が明けようとした12日午前5時44分、政府は避難指示を半径10キロ圏に拡大した。だが、町にはすぐに連絡が入らなかった。
 当初、出された3キロ圏内の住民避難は既にほぼ終わっていた。「警察官が住民を避難誘導している」。予想だにしなかった情報が渡辺の元に届く。町の担当者が県災害対策本部に連絡したところ「10キロ圏への避難拡大」が事実と判明した。過去の原子力防災訓練で想定していなかった町外避難の始まりだった。
 「訓練には参加したが、(原発が立地して以来の)40年の間に原発は安全であるとの考えが(地元に)浸透していた。洗脳されていた部分もある。安全神話を過信したことは否定できない」。渡辺は国会事故調の委員に対して、信じ切っていた神話への複雑な思いを吐露した。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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