東日本大震災

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【覆された備え10】避難拡大に戸惑い 町職員「とにかく西へ」

 茨城県の民間バス数10台が大熊町役場近くの県道沿いに停車していた。乗客の姿はない。東日本大震災の発生から半日しか過ぎていない昨年3月12日午前4時半ごろだった。
 「どうして、こんなときに旅行する人がいるんだろう」。大熊町行政区長会長の仲野孝男(67)はバスの行列をいぶかしく思った。
 仲野は居合わせた運転手に尋ねた。「分からない。会社から指示された」との答えが返ってきた。運転手は「町に到着するまで7時間かかった」と付け加えた。仲野は心の中で時計の針を逆回りさせた。「バスは11日の夜には茨城を出発していたはず...」
 仲野がバスを見てから約一時間後の午前5時44分、政府は大熊、双葉両町に立地する東京電力福島第一原発事故による避難指示を半径10キロに拡大した。
 地元に住む仲野が福島第一原発の危険な状況を知ったのは、政府の避難指示の約15分後だった。町民に避難を呼び掛ける声が町の防災無線から響いたためだった。
 仲野は今月22日に会津若松市の会津大で開かれた国会の原発事故調査委員会(国会事故調)に参考人として出席し、一部始終を委員に詳しく説明した。「国は(避難が広がることを)分かっていたんだ。もっと早く避難指示を出していれば、町も別な対応があったと思う」。町民が抱く国への不信を代弁した。

■派遣の目的
 大熊町の担当者は震災発生から約7時間後の11日午後10時ごろ、国土交通省から電話を受けた。「バス70台を派遣する。隣の双葉町と調整してほしい」
 だが、両町にはバス派遣の目的が正確には伝わらなかった。この30分ほど前、政府は福島第一原発から半径3キロ圏の避難指示を出したばかりだった。町の担当者はバスがこの範囲の住民用と受け止めた。同じ福島第一原発が立地する双葉町とも連絡を取り合った。「バスが到着する時刻には、3キロ圏内に住む住民のほとんどは避難を済ませているはず。そのまま、バスに引き返してもらおうか」。そんなやり取りを交わした。
 だが、引き返すどころではなかった。翌朝、避難指示が半径10キロ圏に広がったことで、事態は一変する。約1万1000人の大熊町民のほとんどはこの圏内の地域に住んでいる。町役場をはじめ、多くの町民が避難している学校などの公共施設も同じ圏内だった。政府の現地対策拠点が置かれたオフサイトセンターも例外ではなかった。

■シナリオなし
 町民は身を寄せていた町総合スポーツセンターや大熊中からバスに分乗した。「とにかく西へ。田村市方面に行ってくれ」。町職員は、運転手にそう伝えるのが精いっぱいだった。町の東端にある福島第一原発と反対の方角だった。
 しかも、町職員は地震、津波、原発事故などの対応に追われ、町内各地に散らばっていた。町職員を全てのバスに添乗させることは困難だった。
 町内を走る道路のうち、南北に通じる6号国道、地元で山麓線と呼ばれる県道いわき浪江線は10キロ圏内を通っている。避難ルートとして使うには適切ではない。町から西に向かう288号国道しかなかった。
 「せいぜい1日か2日で帰れると思っていた」。仲野は避難生活が長期化するとは考えもしなかった。その言葉通り、乗り込んだ人々の多くは、着のみ着のままだった。
 バスが最初に到着した田村市の一部地域はその後、あらためて避難を求められる状況に追い込まれる。
 国も県も町も予期していなかった住民の町外避難には、原子力防災訓練のようなシナリオは用意されていなかった。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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