東日本大震災

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【覆された備え11】再避難 強いられ分散 所在確認 今も続く

避難先の田村市総合体育館でパンと飲料水の配布を受ける被災者。大熊町消防団員も活動した=昨年3月13日午前11時55分ごろ

 大熊町民を乗せたバスは、町と田村市をつなぐ288号国道を何度も往復した。昨年3月12日早朝、政府の避難指示は東京電力福島第一原発から半径10キロ圏に拡大した。第一原発が立地する大熊町は、田村市に住民を避難させ続けた。
 原発事故に伴う町外避難は県原子力防災訓練の項目に入っていなかった。誰も考えたことさえない事態だった。町長の渡辺利綱は今月22日に会津若松市の会津大で開かれた国会の原発事故調査委員会(国会事故調)で、その混乱を報告した。
 町総合スポーツセンターなどの公共施設には、地震と津波から逃れた多くの町民が身を寄せていた。バスは町民を乗せて西へ次々と出発した。
 県が指定した行き先は田村市内の古道小、古道体育館、市総合体育館、常葉体育館、船引小体育館、市文化センターの6カ所だった。ただ、自家用車の住民の一部は警察官の誘導で川内村方面に向かった。

■渋滞
 288号国道は時間を追うごとに渋滞がひどくなった。大熊町以外の町村からも避難する住民の車が流れ込んだためだ。田村市内の避難所は大熊町に近い順に次第に満員となった。その分、バスの行き先は大熊町から遠くなり、町との往復に時間がかかった。
 「バスが戻ってこない」。町内で乗車の順番を待つ住民から不安の声が上がった。町は12日午前11時すぎ、ワゴン車やマイクロバスを持っている町民に防災無線で協力を呼び掛けた。
 最後のバスは午後2時半ごろに町役場を出発した。その30分ほど後、東電から町役場に連絡が入った。「発電所の状況が悪いので、町役場にいる人も避難してほしい」。庁舎に残っていた町職員が避難しようとした時だった。福島第一原発1号機の原子炉建屋が爆発した。
 町職員は288号国道を田村市方面に急いだ。途中、反対車線を大熊町に向かうバスや車を止め、叫んだ。「危険です。田村市方面に戻ってください」

■4市町27カ所
 最後のバスの出発から約4時間後の午後6時25分に、政府は避難指示を半径10キロ圏から20キロ圏に拡大した。田村市の避難先のうち、古道地区の2カ所は20キロ圏付近のため、町民は再避難を求められた。町民は受け入れ可能な施設を探しながら、次第に分散した。郡山、田村、三春、小野の4市町27カ所に分かれた。バスを使わず自家用車で避難した人の所在はなかなかつかめなかった。
 町消防団員は町内の避難所で町民をバスに乗せ、その後をポンプ車で追い掛けた。避難所に到着すると食事の配布、支援物資の受け入れなどに当たった。国会事故調に参考人として出席した技術分団長の松本一彦は、苦難の連続だった日々を思い起こし、こう訴えた。「私たちのような者は、これで最後にしていただきたい」。原発事故で死さえ覚悟したつらさを誰にも感じてほしくない、との願いだった。
 町は13日から、町民の安否確認を急いだ。4月5日には電話の連絡窓口となるコールセンターを設けた。だが、ほとんどの町民の居場所を確認できたのは避難開始から2カ月半後の5月末だった。
 その後も避難先を変える町民が相次ぐ。原発事故から1年余りが過ぎた。町の確認は、今も続く。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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