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【川俣・無防備の戸惑い13】再び故郷へ 思い強く 健康、除染...課題尽きず

114号国道の川俣町と浪江町との境を巡回する地域安全パトロール隊員。行く先々で線量を確かめている=5月21日午後5時ごろ

 21日、川俣町山木屋地区の地域安全パトロール隊が浪江町との境に差し掛かった。車から出ると線量計の警告音が鳴り続いた。
 隊長の大内和紀(57)ら隊員が視線を向けた先には、毎時約5マイクロシーベルトの数字が示されていた。

■顧客の顔
 日本原子力研究開発機構(JAEA)は昨年末、町境から1.5キロほど離れた住宅や農地など約11万平方メートルで除染モデル事業を行った。高圧洗浄や表土の剥ぎ取りなどによって、平均空間放射線量は宅地周辺で毎時3.01マイクロシーベルトから半分近い1.72マイクロシーベルトに下がった。森林周辺でも3.32マイクロシーベルトから2.42マイクロシーベルトに低くなった。
 「うちは一体どのくらい線量が下がるんだろう」。山木屋地区で夫と共に酪農に携わっていた女性は、モデル事業の線量低減率を自宅周辺に当てはめてみた。だが、その結果は、子どもたちと安心して暮らせる数値とは思えなかった。牧場をすぐに再開するのも難しいことが分かった。女性は「本格除染と、故郷への帰還をまだ結び付けることはできない」と感じ取った。
 女性は町内で仕事を見つけ、働いている。「原発事故の原因が解明されても、今の生活が変わるわけではない。毎日さまざまな人と接しながら、これから何ができるかを見つけたい」と前向きに考えている。
 しかし、山木屋地区での生活を決して忘れたわけではない。多くの常連客が乳製品を買い求めるために、山あいの牧場に通ってくれた。その顔が目に浮かぶ。そのたびに「もう1度、あの場所で...」という気持ちがよみがえる。

■来し方行く末
 川俣町長の古川道郎(67)は、町中央公民館に移った町長室の椅子に座り、1人で考え込んだ。山木屋地区が計画的避難区域に指定されて1年余りが過ぎ、さまざまな思いが胸中を去来する。「国の指示を待たず、独自に避難していたら...」
 昨年3月16日夕、空間放射線量は一気に跳ね上がった。18日の調査で町役場が毎時約5マイクロシーベルト、山木屋郵便局が約15マイクロシーベルト、福島市は約10マイクロシーベルトだった。
 古川は「川俣町が避難となれば、おそらく福島市も避難の対象となるだろう」と考えた。町の避難先の候補は、県内であれば、会津方面しかなかった。
 山木屋地区に住んでいた住民のほとんどは今、地区から車で1時間以内の場所で暮らす。
 「一時的とはいえ、会津まで避難していたら、住民は今、町に戻っていただろうか」。古川は、地域コミュニティーが今以上に崩れる事態を容易に想像できた。「あの時点の判断に間違いはなかった」と自らに言い聞かせた。
 町民の健康管理、除染、避難している住民の帰還...。古川が来し方から行く末に考えを切り換えると、今度は尽きることのない課題が続いた。(文中敬称略)
 =第8部「川俣・無防備の戸惑い」は終わります=

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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