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【安全への問い掛け3】新協定で監視強める トラブルのたび見直し

「三者協定」の調印式に臨む(前列左から)田中清太郎・双葉町長、志賀秀正・大熊町長、木村守江知事(昭和51年3月)=「県原子力安全行政10周年記念誌」より

 昭和47年6月、新設された県環境保全課・企画調整班にとって、原発の立地に伴う住民の安全確保が大きな仕事だった。3年前、県は東京電力と安全確保協定を結び、立地地域の立場で原発の監視を始めた。だが、その内容は県にとって、十分ではなかった。
 県が独自に取り組む環境放射能の測定、発電所の新増設計画などに対する県の事前了解、立ち入り調査権...。新たに求める条項は数多くあった。

■法の裏付け
 国は原子炉等規制法や電気事業法などによって安全確保の法的な強制力を持っている。
 だが、安全確保協定には法律上の裏付けはなかった。法的な意味合いを持つ県と東電の契約と見なす意見はあったものの、当時は"紳士協定"にも似た、両者の信頼関係に基づく性格が強かった。
 安全確保協定を県の立場で強化すれば、見直しの内容が国の権限に触れる可能性があった。「国や電力会社が握る安全対策や規制に、地方自治体がどこまで踏み込めるか」。企画調整班の職員は前例のない試みの議論を重ねた。
 班の発足当初から関わった原子力担当の専門職員、落合良二(68)は、何度も東電に見直しを掛け合った。班や課の職員も一致協力した。上司の環境保全課長で、後に商工労働部長などを務めた佐久間庄一も直接、東電との交渉に当たった。職員は原子力をはじめ医学、農林水産業などの専門家から助言を受けた。最新の技術を研究する茨城県東海村の日本原子力研究所にも通った。
 このころ、県内で原発の反対運動が活発になり始め、東電は県や立地町と連携する必要性をあらためて探りだした。県の要望は全面的に受け入れられ、48年2月に新たな安全確保協定が結ばれた。
 事前了解や立ち入り調査の他、東電から県に対するトラブルなどの通報連絡、原発による地域住民の損害への補償、国を通じた東電への適切な措置の要求なども明記した。
 落合は「地域の安全を確保する観点が、当時としては十二分に盛り込まれたと思う」と振り返る。

■二者から三者へ
 だが、安全確保協定の強化をあらためて求めなければならないトラブルが間もなく発生した。
 改定から4カ月後の48年6月、福島第一原発1号機で放射性物質を含む廃液が、放射性廃棄物処理建屋の外に漏れた。
 地元の大熊町にその情報が伝えられたのは、発生から丸1日近くが過ぎていた。県には発生の約4時間後に東電から伝えられていた。原発に最も近い地元の町や住民がないがしろにされた形だった。
 「誘致した町当局に知らされないのでは、重大事の際の対策を立てられない」。後に大熊町長を務める助役の遠藤正は報道機関の取材に対して、不満と不信をあらわにした。
 同じ原発立地県の福井県などは既に、地元の自治体を加えていた。本県は昭和51年3月の改定で、立地町を含めた「三者協定」に拡大した。
 原発が立地する町がトラブルなどの通報連絡を受けたり、立ち入り調査や適切な措置の要求にも加わったりできるようにした。
 だが、安全確保協定や通報連絡体制の見直しは、その後も続いた。原発のトラブルや不祥事が起きるたびに、県の原子力行政の大きな課題として浮かび上がった。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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