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家族で漁業営む 両親、妻へ「ありがとう」

■南相馬市鹿島区南右田 宮本茂正さん 85 ヨシさん 85 恵子さん 63
 茂正さんは戦後、旧鹿島町で漁を始めた。沖合約10キロでカレイやヒラメを捕る茂正さんを、妻ヨシさんは港で待ち、水揚げや魚の仕分けを手伝った。やがて長男茂春さん(65)が一緒に船に乗った。茂春さんの妻恵子さんも加わり、家族4人で漁業に励んだ。
 茂正さんは約20年前に現役を引退したが、茂春さんの船の準備を手伝った。震災当日も一緒に網を片付けた。真面目で一本気な性格。「手を抜くな。小さなミスが命取りになる」。茂春さんにとって父は最も尊敬する師匠だった。
 恵子さんと茂春さんは中学の同級生だった。3人の子どもに恵まれた。恵子さんは茂春さんが漁師仲間を家に連れて来ると、にこやかに応対し手料理でもてなした。
 地震が発生し、茂春さんは船を泊めていた浪江町の請戸漁港に向かった。漁港近くで警察官に止められた。車を海と反対に向けるとバックミラーに、波が迫って来るのが見えた。慌てて自宅周辺までたどり着いた時、近所の知人から「何もかも流された」と言われた。「家族はきっと逃げたはずだ」。近くの避難所を回った。友人や知人を捜しては家族の所在を尋ねたが、見つけられなかった。
 数日後、金融機関に出向いた。通帳やキャッシュカードも流されていた。行員に暗証番号を聞かれたが、答えられなかった。「全部任せっきりだったんだ」。恵子さんを思った。窓口で涙が止まらなかった。
 茂正さんとヨシさん、恵子さんは、海からすぐの自宅で津波の被害に遭った。ヨシさんは4月3日に自宅から約1キロ離れた場所で、恵子さんは震災から約1カ月後に自宅から120キロほど離れた茨城県沖合で見つかった。茂正さんの行方は今も分かっていない。
 茂春さんは1年後の今年3月に3人の告別式を営んだ。この夏、茂春さんは南相馬市鹿島区の借り上げアパートで2度目のお盆を迎えた。時間をさかのぼって両親や恵子さんが浮かんでくる。ゆっくりと手を合わせた。
 <今まで本当にありがとう>

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