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【巨大津波遅れた対策16】「チリ」大きく上回る 迫る高波、避難促す

東日本大震災で南相馬市内に遡上(そじょう)した津波。撮影時の遡上高は標高10.5メートル程度=平成23年3月11日、高橋正則氏撮影

 南相馬市に本社を置く庄建技術の技師長兼技術部長、高橋正則(63)は、昭和35年5月に本県沿岸に押し寄せたチリ地震津波を鮮明に記憶している。
 「波がゆっくり、何回も引いたり、来たりした」
 南米のチリは地球上で日本の反対側にある。地震は、世界の観測史上、最大規模といわれている。地震に伴う津波は太平洋を横断し、ハワイ諸島を経て、日本にまで到達した。本県で4人が死亡したとの記録が残る。
 東京電力は福島第一原発の建設に当たって、チリ地震津波の際に、いわき市の小名浜港で観測された潮位の3.122メートルを「既往最大の潮位」として設計条件に定めた。

■引き波
 高橋はチリ地震津波の当時、小学5年生で、相馬市内に住んでいた。自宅のテレビから「津波がハワイを通過しました」とのニュースが流れた。それから10時間ほど後だった。「松川浦で魚が捕れる」。近所に、そんな話が広がった。高橋は自転車で松川浦に向かった。
 岸辺には大勢の住民が集まっていた。松川浦の水深は普段、深い所でも3メートルほどだった。その海水が引き波で消え去り、広大な水底が出現していた。逃げ場を失った魚が跳びはねた。しばらくすると、今度は海水がじわじわと押し寄せて来た。居合わせた住民は思うように魚を捕まえることはできなかった。住民に危機感や恐怖感を抱く雰囲気はなかった。
 波が引いたり来たりする様子を高橋は緩慢だと感じた。自宅に帰ろうとした時、見慣れた漁港の異変に気付いた。岸壁に並んでいるはずの漁船が消え去っていた。
 漁業をなりわいとする人々は、津波の恐ろしさを知っていた。津波襲来に備え、漁師たちが沖合に船を避難させていたのだった。漁船に大きな被害はなかった。

■横一線
 昨年3月11日、高橋は仕事中に大きな揺れに襲われた。とっさにカメラを持ち、会社を出た。
 津波が来る可能性を感じ、南相馬市原町区の海岸にある防波堤に向かった。太平洋を見詰めると、白い帯状の高波が横一線に見えた。「大津波が来た。逃げてくれ」。周囲の人たちに呼び掛けながら高台に移り、シャッターを押し続けた。
 内陸部に押し寄せて来た津波は、高橋が小学生時代に体験したチリ地震津波とは、比較にならないほどの大きさだった。
 大震災の後、高橋は津波被害に伴う地質や地盤を調べている。相馬市内の地層を掘り下げた時、特徴のある砂の層を確認した。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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