東日本大震災

「3.11大震災・福島と原発」アーカイブ

  • Check

【国策への異議12】やりきれなさ続く 避難の新潟で母を看病

郡山市に設けられた富岡町郡山事務所で、避難生活の様子を語る小野田さん

 福島原発訴訟の原告団長を務めた富岡町の小野田三蔵(75)は今、新潟市の借り上げアパートで暮らす。富岡町内は、全域が東京電力福島第一原発事故による警戒区域に指定され、立ち入り制限が続く。
 新潟市から約95キロ離れた新潟県十日町市の病院に母ユウ(95)が入院している。今月13日も新潟市から車で病院を訪ね、看病した。
 病院近くには、積雪が2メートルを超える所がある。道路は除雪されているが、雪の少ない富岡町とは大きく異なる。晴天が続く冬の故郷を思い起こしながら、慎重にハンドルを握る。

■メールの画像 
 小野田は原発事故後、富岡町から避難し、福島市内の長女宅に一時、身を寄せた。福島第一原発が立地する大熊町内の病院に入院していた母と連絡がつかない日々が続いていた。母は認知症が進み、自ら名乗ることができなかった。
 事故から10日後の平成23年3月21日だった。小野田の携帯電話に県災害対策本部から連絡が入った。「大熊町の病院に入院していた患者のうち、親族と連絡がつかない何人かが新潟県内の病院にいるらしい」。いくつかの病院の電話番号を探し、かけ続けた。
 十日町市の病院に母と思われる女性がいることが分かった。新潟県からは身元不明者として扱われていた、という。
 病院の看護師が携帯電話のカメラ機能で、母と思われる女性の顔を撮影し、その画像をメールで小野田に送信した。受信した携帯電話の画面には、ベッドで横になり、目をつぶった状態の女性が写っていた。「母だ」

■余命 
 小野田は3月27日、十日町市の病院に駆け付けた。しかし、医師から告げられたひと言に、言葉を失った。「余命3カ月です」
 「福島県内に戻したい」。医師に伝えた。しかし、「このままでは体力がなくて長距離の移動には耐えられない状態だ」と諭された。
 看病のため、新潟県内で避難生活を始めることを決めた。しかし、病院の近くには空いている住宅はなかった。母校の新潟大で共に学んだ友人の紹介で、妻と2人で新潟市内にあるアパートに移り住んだ。
 アパートから十日町市の病院まで、週に1回のペースで片道約2~3時間をかけて通っている。病院に向かうために乗用車を運転している途中、ふと考える時がある。「福島原発訴訟で、裁判所が適切な判断をしてくれれば...」。怒りではない。やりきれなさが込み上げる。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

「3.11大震災・福島と原発」の最新記事

>> 一覧

東日本大震災の最新記事

>> 一覧